コラム

2023.06.23

絶望の底で見つめた自然 ―復刊された詩集『いのちの芽』―

                  『いのちの芽』 表紙帯


 この春、東京清瀬市にある国立ハンセン病資料館で開かれた特別企画展(ハンセン病文学の新生面 『いのちの芽』の詩人たち)に合わせて、70年ぶりに『いのちの芽』が復刊された。

 戦後憲法が謳う基本的人権の尊重と、治療薬プロミンの登場により、それまで社会から有無を言わさずに隔離され、絶望と孤独の内に生きざるを得なかった療養所の患者さんたちに、新たな「光」への展望が開かれることになった。そしてその中から次々と生み出された作品を集めた詩集『いのちの芽』が、1953年、世に送り出されたのだ。しかしその後70年の間この詩集は再刊されることなく、「幻の詩集」となっていたのだが、資料館の学芸員である木村哲也氏が中心となり、企画展と共にこの詩集を復刊することで、新たに「ハンセン病の新生面」に光を当てる試みがなされるに至ったのである。

 

 残念ながら私は体調のこともあり、この企画展を訪れることは叶わなかった。しかし木村氏による丁寧で的確な解説を始めとして、姜信子氏や西村峰龍氏による講演、小泉今日子氏による詩の朗読、更にはコンサート「青い鳥のハモニカ」等々、YouTube動画で配信された限りの情報は、自宅でゆっくりと拝見することができ、送って頂いた『いのちの芽』も、じっくりと読むことができたのだった。見事な構成の企画展であり、考えさせられることが実に多かった。


 今回は当コラムで取り上げている「自然」、殊に自然が宿す「光」のテーマとの関連で、『いのちの芽』から五篇の詩を挙げさせて貰おう。これらの詩が表すものを前にして、私の舌足らずな解説などは不要である。皆さんが直接ぶつかり、測り知れない絶望と闇の底で、患者さんたちが如何に自然と向き合い、そこから如何なる「光」を見出したのか、自らの心に受け止めて頂きたい。



      

桔 梗       中本 一夫

 

暑熱の中に

培われた生命。

 

塵界の中に生きてきた私にとっては

かって見た事のない姿だ。

 

空を見た

海を見た

秋が流れている。

 

唯一本の茎に

唯一つの花。

 

雑草の中の

紫。

 

それは

 涙の色でない

 (うれい)の姿でない

 沈んでいくような色

 思わず立止らせる姿。

 

ぱっちりと

眼をひらいて

秋の色を呼吸している花。

                  一九五二年九月


 


 

柊       館 祐子

 

空が晴れている

裸木が春風の中で

嬉しげに合唱しつつ

かげろうと共に躍り始めた

 

その中で

柊よ

お前だけは喜びを唱わないのか

その姿はいつもあおく堅く

空っ風土埃をかむって

無表情なお前なのだ

 

暗うつな緑よ

憤怒の棘よ

その裡にかくされた不屈と忍耐の魂

仲間の樹々が散ってしまっても

お前は烈しい寒風に

厳然――負けなかった

 

孤独孤高な柊よ

私は

お前に限りない親しさを覚える

お前はやがて

棘を持つ厚い葉かげに小さな花をつけ

ひそかにほろほろと

地面にその白い花をこぼす。


 

     



朝 顔 の 花       森 春樹

 

すべては夜 準備されていた。

見よこの

忍従の堆積。

 

せつなの命のかぎり

ひらいている

朝顔の花。

ただ一途に。

 

音もなく

呼吸づき

光をうけ

天にふるえている。

 

朱の衣。紫の衣。青の衣。

 

花は

光の滝をうけ

悔恨のかげなく

天に向かって

祈っている。

               一九五二、一一、二〇


 

 

芽       志樹 逸馬

 

芽は

天を指さす 一つの瞳

 

腐熟する大地のかなしみを吸って

明日への希いにもえる

 

ひかりにはじけるもの

 

芽は

渇いている 飢えている

お前はもはや誰れのものでもない

(廻転する地球の風にゆれる

花のものだ)

 


     

       

 



便 り       小島 浩二

 

名物の島の桜が

咲いたと書こう

 

一時にパッと

咲いたと書こう

 

年毎に

美しく楽しいと書こう

 

病み疲れた身を耐えて

私も元気です と書こう。



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