コラム

2023.09.14

頭蓋骨を持てる自画像


中村彜 (なかむら つね 1887-1924)、

彼の自画像の存在を教えられたのは二十代の終り、

恩師の小出次雄先生(1901-1990)からであった。

 「この絵とは正面から向き合っておくのだ!」


絵画にせよ書にせよ音楽にせよ、

自分の感受性の鈍さを常に嘆いていた私が、

何故かこの自画像にだけは、

最初から心を揺さぶられた。


死を真正面に見据え、

ただ悲しみに浸るだけではなく、

恐れや不安に捕らわれるだけでもなく、

また怒りに駆られるだけでもなく、

その運命を受け入れ、

じっと正面を見つめ、髑髏を手に静かに座す姿 ――

彼が見つめる先について、定かに理解は出来なくとも、

人間が行きつくべきは正にこの姿だと直観させられたのだ。


その後、

彼の様々な作品に親しみ、

その人生の苦難について知り、

『芸術の無限感』を愛読する今も、

初めてこの自画像と出会った時の衝撃と感動は、

そのままこの胸の内に脈打ち続けている。


前回、

レンブラントを取り上げ、

彼が晩年に描いた二つの自画像を前に、

それら相反する相貌の先にある自画像こそが、

我々人間が求めるべき究極の自画像であろうと記した。

私にとって、その一つが、

正にこの「頭蓋骨を持てる自画像」に他ならない。


    ※     ※     ※


この自画像について、

今回は小出先生の文章を紹介させて頂こう。

これは先生の遺稿を整理中、

つい先日見出したものの一部であり、

正に「中村彜讃歌」と呼ぶべきものである。


今まで私は様々な中村彜論に触れてきた。

しかし彼の全生涯と人間の全人生を向こうに置き、

この自画像が持つ意味について、

これ以上真実を言い尽くした文章とは出会えていない。


私もまたあれこれと言葉を尽くしたところで、

とても師以上の文章を書く力はない。

せいぜい、師が嫌悪し軽蔑した、

「群盲象を撫でる」の類に堕すだけであろう。


 「これがどんなにおそろしい

  どんなに素晴らしい

  どんなに不思議な絵か」


中村の絵について、

彼の眼が見つめるものについて、

このような言葉を刻み得るのは、

神を求め生涯一人思索と創作に没頭し、

無名のまま平然と死んでいった

師のような人間にして初めて出来ることだと思われる。


中村彜の自画像と共に、

次の文章とも是非正面から向き合って欲しい。



   

             頭蓋骨を持てる自画像 1923-24

             大原美術館



  「中村彜よ

   君はこの全人生を

   一個の髑髏にして見せた

   君にとって君の全生涯が

   一個の髑髏でしかないということを 

   謙虚に語り

   而もその髑髏を 

   この全人生というその髑髏を

         君のその瘦せきった膝の上に

   静かにのせたまゝ

   すべてを父なる神にゆだねて

   一緒に天上に召されてゆくのだ

   そこにはもう何の疑いもなく

   ためらいもない

   不安もなく

   力みもない

   心の底の底からの納得と

   やすらぎ


   中村彜よ

   君はさながらに哲人だ

   全人生を一個の髑髏に

   封じこめて了った

   そして君は

   幼な児のように眼を一杯にみひらいて

   神を見ている

   神だけを見ている

   君のその眼を

   まともから覗きこんで

   その底の底まで見すえることのできる人が  果して

   幾人あろうか

   この世のすべてを

   一個の髑髏にしきって了った人にでなければ

   それはできまい

   すべてを髑髏にしぬいて  始めてそこに

   神を見出し

   神の愛を浴びた人

   そういう人でなければ  それはできまい

   大抵の人はちらりと目をやっただけで

   肝心なその一点だけはやりすごして了うにきまっている

   とっさに盲膜がはられ

   思わず眼をそらして了うに相違ないのだ

   これがどんなにおそろしい

   どんなに素晴らしい

   どんなに不思議な絵かを確めようともせず

   あり合わせの印象だけで片づけて了うにきまっている」


            1977年2月16日 記

             小出 次雄   




《付》

  師が折々に記された「中村彜論」の全体に関しては、

  その遺稿の整理がついてから改めて紹介したい。

   師の許での若者たちの学びについては、

  拙著『予備校空間のドストエフスキイ』後編に記した。

 


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