コラム

2023.10.22

心に残る三つの街  (1) コペンハーゲン ―チボリ公園の童心―


8年前、初めてコペンハーゲンを訪れた。

まず私の目を引いたのはチボリ公園であった。

コペンハーゲン空港から中央駅に着くと、

日本で言えば、東京駅から皇居までの距離もない所、

駅から徒歩一分ほどの所に大遊園地があるのだ。

ウォルト・ディズニーがディズニーランドを造る際、

最大の模範としたとされる遊園地である。

 

この街での五日間は驚きと感動の連続であった。

折しもハロウィーン祭、

公園や、店頭や、駅舎や、大病院の玄関まで、

至る所に数多くの巨大なカボチャが転がり、 

駅前から公園の中まで人々が溢れ、

老若男女を問わず誰もが顔を輝かせ、

祭を心ゆくまで楽しもうとしている。

 

公園を挟み、中央駅と反対側にある入場口の前には、

大通りを隔ててアンデルセン像が置かれ、

この像が本と杖を持ち、じっとチボリ公園を見守っている。

首には誰かの巻いた長く赤いマフラーが忍び寄る寒気を防いでいる。 

街の至る所に「童心・幼な心」、始原の生命感が脈打っているのだ。

 

         チボリ公園を見守るアンデルセン像


三年後、再びコペンハーゲンを訪れる機会があった。

この時もハロウィーン祭の直前で、

既に至る所に大カボチャが転がり、チボリ公園は人々で溢れていた。

当時私はライフワークの『カラマーゾフの兄弟論』を書き終え、

次の仕事をどの方向に進めるか模索をしていた時であり、

この旅を機に、長い課題であったキルケゴールについて、

少しでも理解を進めておきたいとの思いもあった。

実存主義哲学の系譜に於いて、

キルケゴールはドストエフスキイの先駆者とされる。

だが二人を貫く縦糸は具体的に何処に見出すべきなのか?

この問題を曖昧なままに残していたのだ。

 

半年も続く北国の長く暗い冬。

その中で人間は肉体と精神をどう保つのか?

冬の長い闇に耐え切れず、

或いは気を狂わせてしまう人、

或いは自死さえする人も少なくないとされる。

「絶望」と「憂愁」の哲学者キルケゴール、

ここでこの哲学者は如何に生き、如何なる思索をしたのか?

アンデルセンに続き、今度はキルケゴールが旅の道連れとなった。

だがアンデルセンにしても、キルケゴールにしても、

僅か五日ほどの旅で読める文章も理解出来ることも僅かでしかない。

『死に至る病』、この難解な本の一文・一節でも理解して帰ろうと、

私はその文庫本を携えて東京を発ったのだった。



             ブラックダイヤモンド    



                  ブラックダイヤモンドの内部


チボリ公園から歩いて15分ほどの所、

人魚姫像に続く大水路に沿って、

王立図書館・コペンハーゲン大学図書館がある。

これは建築家ラーセン等の設計によって旧舘に新館が建て加えられたもので、

黒ずくめの超近代的な外観から「ブラックダイヤモンド」と呼ばれ、

今ではコペンハーゲン名所の一つとなっている。

キルケゴール関係の書物にしばしば掲載され、広く知られる彼の像は、

このブラックダイヤモンドの奥にある旧舘の中庭に置かれている。

この街にいる間、私は時間のある時には彼の像と向き合い、

或いは像を見下ろせるブラックダイヤモンドの閲覧室の窓際に席を取り、

少しずつ『死に至る病』と取り組んだのだった。

 

キルケゴールが向き合ったのは、

チボリ公園に見られる素朴な生命感に溢れる人々ではなかった。

彼にとり、人々は既に「童心・幼な心」を忘れ去ってしまっていたのだ。

近代的合理精神と弱肉強食の精神を取り入れることで、

西欧世界と祖国とが生み出すことになった神疎外と人間疎外の社会、

その中で、ひたすら欲望の享受とその増大に励み、

虚飾と偽善に満ちた小市民世界を作り出してしまった人々、

――この現実を凝視するキルケゴールが人々に訴えたのは、

神とその愛をこの世に生きて証したイエス・キリストに眼を向け、

その許で再び「童心・幼な心」を取り戻すことだったと言えよう。

 

貧乏とうち続く不運の中、神の究極の愛と救いを信じ、

生涯一人ヨーロッパ各地を旅し続け、

人々に「童心・幼な心」について語り続けた童話作家アンデルセン。

絶望の底で「死に至る病」、即ち「絶望」に陥ったまま終わることなく、

一人「憂愁」の内に神とキリストを胸に抱き続けた哲学者キルケゴール。

チボリ公園の近く、これら孤独な二人の守護神が見守り続ける街。

――これが二度の訪問で得た私のコペンハーゲン像である。



         ブラックダイヤモンド奥のキルケゴール像


約40年前、私は或る大学で比較文学を担当していた。

ボードレール、ルイス・キャロル、マーク・トゥエイン、福沢諭吉等々、

ドストエフスキイと同時代を生きた人たちを一人ずつ取り上げ、

一年をかけて、皆で様々な角度から比較・分析を試みたのである。

そのような中、アンデルセンを取り上げた年があった。

「マッチ売りの少女」・「影法師」・「木の精ドリアーデ」・「赤い靴」・・・

アンデルセンとドストエフスキイは同じテーマを扱いつつも、

その切り口は「童話」と「小説」という点で大きく異なる。

しかし一年の終わり、皆がほぼ一致して持つに至ったのは、

アンデルセンが子供たちに向けて語る童話世界と、

ドストエフスキイが描き出す深刻かつ複雑な小説世界は、

決して相容れぬ世界ではないということ、

むしろ互いに大きく響き合う世界だということへの驚きであった。

この驚きの核となったのは、

これら二人が、上にも記したように、

近代的合理精神と弱肉強食の精神の進展によって、

露骨に現出しつつある神疎外・人間疎外化社会と正面から向き合い、

そこに人間間の真の絆と愛の成立の可能性を探った人たちだという事実、

これを皆が深く実感させられたことだったと思う。

この実感は、私にとって、ただの実感に留まらず、

ドストエフスキイとの取り組みが進むにつれて、より確かな認識となり、

キルケゴールとの取り組みに於いても「思考の基準枠」となったのだった。



                       『みにくいあひるの子』 ポプラ社 

                文 中脇初枝 作画 高野登 門野真理子 



チボリ公園前のアンデルセン像、

ブラックダイヤモンド奥の中庭にあるキルケゴール像、

これらは今も私の心から離れることがない。

もし私がもう一度比較文学を講じることがあるとするならば、

彼ら二人とドストエフスキイの三人を取り上げ、

素材としてはアンデルセンの「醜いあひるの子」を用いたい。

  

周知の如く、

「醜いあひるの子」は惨めな運命の逆転劇であり、

最後にはハッピーエンドが待つ「童話」として広く知られている。

だが「醜いあひるの子」とは、

むしろ「大人の物語」としてこそ読まれるべきもの、

そのまま我々人間全ての在り方として受け止められるべきではないのか?

つまり「醜いアヒルの子」たちが流す無辜の涙に眼を向けず、

「死に至る病」である「絶望」を絶望し切らずに無為の日々を送り、

「醜いあひるの子」を「美しいあひるの子」に変身させようとしない我々、

文明に毒され飼い慣らされた我々の醜悪な姿そのものではないのか?

アンデルセンもキルケゴールも、そしてドストエフスキイもまた、

西欧社会の闇に打ち捨てられた「醜いあひるの子」と正面から向き合い、

その変身・復活の可能性を、内と外とに生涯探り続けた人たちだと言えよう。

19世紀三人が直面した問題を、21世紀自分自身の問題として受け止め、

その解決の糸口を見出すべきは正にこの我々に他ならない。

そのために私は、生徒さんたちの一人ひとりに、

「醜いあひるの子」の挿絵をそのまま「醜いあひるの子」として描かせ、

その姿と向き合わせるであろう。



          ハンス・クリスチャン・アンデルセン      1808-1875

          セーレン・オービエ・キルケゴール       1813-1855

          フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキイ 1821-1881




《付記・1》

以下に挙げるのは、上の絵本『みにくいあひるの子』の巻末に「解説」として掲載された児童文学者 西本鶏介氏の文章である。この作品の見事な解釈の一例として紹介したい。アンデルセン童話へのアプローチは様々に可能である。

この西本氏や私のアプローチを参考にして、是非、皆さんも自分自身のアプローチを試みて欲しい。

 

   「みにくひあひるの子」はアンデルセンの一生を集約した童話、言い換えれば

   童話で描かれた自伝ということができます。貧しい家に生まれ、世界的な作家

   になるまでの人生ドラマをみにくいあひるの子にたくして、あたかも長編小説

   に匹敵する重さで一編の童話に象徴させているのです。とりわけ、あひるの子が

   白鳥になったラストは胸を打たずにおきません。どんなにいじめられ、ばかに

   されたか。ところが水面にうつる自分の姿を見て、若くて美しい白鳥であることを

   知ったのです。忍耐と努力を重ねながらも人をうらむことなく、至純な心を持ち

   続けたアンデルセンの人間性がしっかりと伝わってきます。たとえ幼児であっても、

   人生のきびしさと不幸をのりこえる勇気の大切さを理解できるはずです。どんなに

   つらい人生であっても不幸以上にたくさんの幸せがあることも教えてくれます。

               昭和女子大学名誉教授、児童文学者 西本鶏介




《付記・2》

以下はコペンハーゲンとアンデルセンの故郷オーデンセで撮った写真である。

今回のコラムに色々と難しいことも書いたが、結局私はデンマークへの二回

旅で、この国の人々によって、またアンデルセンとキルケゴールによって

「童心・幼な心」を呼びまされ、心から楽しい思いをさせられたのだ。

その思い出と感謝の気持ちを込めて9枚を選び、ここに掲載したい。  



                  チボリ公園 正門前の雑踏



     チボリ公園正門近く、農民楽団の演奏


           チボリ公園 野外を歩む踊り子たち



            チボリ公園 野外劇

 


               夜のチボリ公園を見守るアンデルセン

   


    ブラックダイヤモンド 閲覧室から水路を臨む  



                   アンデルセンの切り絵



    アンデルセン記念館、日本で出版された作品コーナー


         アンデルセンの生地オーデンセの交通信号(青)





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