コラム

2023.11.20

心に残る三つの街  (3) トレド ― エル・グレコの聖なる空間 ―


トレドの街との出会いは二度、

一度目は、エル・グレコが描いたトレドとの出会い、

二度目は、実際にこの街に足を運んでの出会いである。

それぞれが私の心に忘れ難い痕跡を残している。

 

エル・グレコの絵と初めて出会ったのは20代である。

『白痴』によってドストエフスキイ世界に引き込まれた私は、

これと同様に魂を揺り動かす体験を与えてくれる芸術を求めて、

手当たり次第に様々な音楽や絵画作品にぶつかって行った。

そして出会ったのがベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス」と、

エル・グレコの絵画世界、殊に「トレド風景」だった。

これら二つの作品は共に、ドストエフスキイと同じく、

それまで私の耳と目と心が慣れ親しんで来た世界を放棄させ、

私を全く別の新しい世界に連れ去ったのだ。


              聖衣剥奪 1577-79 トレド大聖堂

  


エル・グレコ(1541-1614)の絵画世界。

その最大の特色は、

我々が感受する形態や色彩が、更に言えば空間や時間が、

常識の枠内で捉えられる形態や色彩、空間や時間を超えて、

実は測り知れない広がりと奥行を持って存在することを、

これでもか、これでもかと描き出すところにあると言えよう。


例えばローマ総督ピラトの下に送られたイエス。

マルコ福音書は、このイエスが兵士らに紫の衣を着せられ、

更にそれを剥ぎ取られ、再び元の上着を着せられた上で、

「十字架に引き渡すために送られた」と記す(マルコ十五16-20)。

この「聖衣剥奪」の場面をエル・グレコはどう描いたか?

剝ぎ取られるイエスの衣はマルコが記す紫ではない、

目を射るような強烈な赤である。

この赤が、この絵画の劇的迫真性を決定づけているのだ。


   聖ヨセフと幼な子イエス 1597-99 トレド サンホセ礼拝堂

            (左下にトレドの街)

     

「聖ヨセフと幼な子イエス」を描くにあたっても、

エル・グレコが描くイエスの服は赤である。

慈愛に満ちた父ヨセフにもたれかかる幼な子イエスから、

ゴルゴタの十字架上で磔殺されようとするイエスに至るまで、

彼の心にイエスは真紅の存在として生きていたのだ。

福音書世界の激しいドラマを、

驚くべき劇的な構成や形態によってのみならず、

色彩一つでも見事に表現してしまうのがエル・グレコである。




           トレド風景 1600頃 ニューヨーク メトロポリタン美術館


「トレド風景」。

天上で起こる只ならぬ出来事を告げるかのような空の雲、

それに応えて叫び声を上げるかのような岡や教会や川や橋や樹々、

天と地を貫き染めるかのような暗い色調の緑と黒と白、

これら形態と色彩が生命に満ち、うねり燃え上がり、

異様と言う他ないリアリティで迫って来るトレドの街。


この絵は「嵐のトレド」と呼ばれる。

だがそれが地上の街トレドの嵐なのか、

それとも天界の嵐なのか、

或いは作者の心に吹き荒れる嵐なのか、

はたまた昼の嵐なのか夜の嵐なのか、

定かなことは分からない。

いわば時空を超えた街の、時空を超えた嵐と言うべきか。

一歩間違えば、不気味さと不吉さに通じるようなこの嵐が、

生々しい生命感を以って見る者の心に吹き込んで来る。


この嵐について、小林秀雄は記す。

  「[グレコの「トレド風景」は]

   嵐のトレド」と言はれてゐるが、

   嵐は作者の心の裡のものである。

        トレドの町が十字架にかけられてゐるのである。

   評家は、この繪の構成について、

       セザンヌを引合ひに出したがるが、

   この繪の語る心の嵐は、寧ろゴッホに通ずると私は感じた。

   これも、この世の見納めと言った風なものを感じさせる

   稀有な風景畫である。」

          『近代繪畫』 私の空想美術館


「嵐は作者の心の裡のものである」――

この嵐を作者の心の裡にのみ限定してよいかどうか、

常に「孤獨病者」の観念世界を凝視する小林の判断は措いて、

「トレドの町が十字架にかけられてゐる」、

「この世の見納めと言った風な」、 

このような極めて激しい言葉と共に、

この「稀有な風景畫」について彼が触れていたもの、

それはドストエフスキイ世界と重ねて、

「終末論的感覚」という言葉が最も相応しいであろう。

 

1541年、ギリシャのクレタ島に生まれた彼は、

若くして聖像(イコン)画家として名を成すが、

26歳にしてクレタを離れ、イタリアに渡る。

ヴェネチアとローマで約10年間暮らし、

ここで彼はルネサンス様式の調和と均衡を身に着け、

同時にこれとは逆のマニエリスム技法も習得したと言われる。

その後スペインのトレドに移り住んだ彼は、

この街の数多くの教会に依頼されて祭壇画を描き続け、

押しも押されぬ宗教画家としての地位を確立する。

彼はその画題の殆どを新約聖書から採り、

殊に福音書の様々な場面を激しく生々しい筆致で描き出し、

見る者の感覚と意識と存在をいわば「終末」に連れ去り、

新たな天上的感覚と超越的生命感を呼び覚ましたのだ。


かくしてエル・グレコは、

ドストエフスキイとベートーヴェンと共に、

二十代から三十代にかけて「心の嵐」が吹き荒れる私を、

或る時は天上に解き放ち、

また或る時は地上に釘付けにすることによって、

この上なき導き手となってくれたのである。


      無原罪のお宿り 1608-13 トレド サンタ・クルス美術館

              (左下にトレドの街)


「トレド風景」が心に焼き付いて以来、

私はエル・グレコが新約聖書から採った画題でも、

殊にトレドの街が描き入れられているものに注目し続けた。

 ・ マリアへの「受胎告知」(1596-1600)、

 ・「聖ヨセフと幼な子イエス」(1597-99)、 

  マリアの「処女懐胎」(「無原罪のお宿り」)(1608-13)、

 これら以外にも、

 ・ ギリシャ神話からの「ラオコーン」(1610-14)、

 ・ 独自の「都市案内図」とも言える「トレド景観と地図」(1610-14)、

それぞれがトレドの街を実に印象的に描き込んでいるのだ。

1576年にスペインに渡り、1614年にトレドで死んだ彼が、

「トレド風景」を描いたのは1600年、

この街が他の絵画に登場するのはトレド時代の後期だと言えよう。

聖書世界がクレタ以来の一貫したテーマであったのに加え、

トレドの街自体もまた、彼には不可欠な存在となったのである。


上に挙げたマリアの「処女懐胎」。

これは一般に「無原罪のお宿り」と呼ばれる絵であるが、

その激しく劇的な構成・遠近法・色彩は言うまでもなく、

遥か右斜め上方、天を見つめる聖母マリアの目、

通常のプロポーションを遥かに超えた、うねるような彼女の身体、

マリアと彼女を取り巻く天使たちの衣装の光沢、

雲を断ち割り、鳩の形を取って天上から舞い降りる聖霊、

どこをとっても正にエル・グレコの世界そのものである。


そしてこの世界の左下に描かれたトレドの街。

ここにも一つの世界が見事に描かれており、

先の「トレド風景」と較べるだけでも興味は尽きない。

しかもこれは最早単に地上世界に存在する街ではない、

天上と地上、両世界を結ぶ大奇跡に立ち会う街、

否、むしろこの奇跡が行われる現場に他ならないとさえ言えよう。

先の「嵐」という言葉を再び用いるならば、

福音書の裡に発した嵐は、

エル・グレコの心の裡に吹き込み、

更にはトレドの街にも及び、

遂にはこの絵を見る我々の心にまで及ぶのだ。


                       トレドの街  (合成、 1989)


トレドの街を実際に訪れたのは40歳近く、

家族と共にイギリスに滞在していた頃のことである。

子供たちのハーフターム休暇を利用して一週間ほど、

スペインのマドリッドとトレドに旅をしたのだ。


実際に訪れたトレドは、エル・グレコが描くトレドとはまた別に、

新たに私の心を強く揺り動かす「力」を以って迫って来た。

ローマの支配から西ゴート王国へ、更に長いイスラム支配期を経て、

遂にはカスティーリャ王国支配下のキリスト教国へ、

そこにはユダヤ教も生き、様々な文明・文化・宗教が共存していた。

―― このようなトレドが持つ歴史の底知れぬ厚みが、

ただ単に過去の無機的な堆積物としてあるのではなく、

今も生きて呼吸する創造的な空間として迫って来たのである。

それはエル・グレコが描くトレドと相容れぬものではなかった。

私が直観的に感じたのは、

エル・グレコの終末論的感覚と、この新しい創造的感覚とは、

トレドの街に於いて深く強く通じ合っているということ、

トレドはそのような神秘的な力を孕む街だということであった。


この感覚が最も鮮明に与えられたのは、

町の周りを流れるタホ川の対岸、

街を一望出来る丘に立った時である。

タホ川越しにこの街を眺めながら思った ――

  クレタ以来福音書と長く取り組む内に、

  福音書世界が彼自身の心に住み着いたのと同じく、

  トレドに長く住む内に、

  トレドの街もまた彼自身の心に住み着くに至ったのだろう。

  かくして、天上的現実と地上的現実、

  これら二つが彼の裡で神秘的一体化を遂げることによって、

    あの「トレド風景」に結晶したに違いない。

  トレドの街は単なる「古都」ではない。

  この街は今も生きている。

  そしてなお新たなものを生み出す聖なる力を秘めている!

  


             トレド景観と地図 1610-14 トレド エル・グレコ美術館

  


私は対岸から撮った写真を合成して全景写真を作り、

彼の「トレド景観と地図」と対照させ、

その後長い間二つを見比べ続けたのだった


「トレド景観と地図」に於いて、

中央下、輝く雲の上に立つのは、この絵が収められたタベーラ施療院、

中央左上は、タベーラ施療院に天から降り立つ聖母マリア、

左下は、この街を囲んで流れる、擬人化されたタホ川、

そして右下の青年、彼が掲げるのはトレドの地図である。

この絵は最早懼るべき終末論的雰囲気が支配するトレドではない。

空の雲も不気味さや不吉さとは遠く、

「十字架にかけられてゐる」トレドでも、

「この世の見納めと言った風な」トレドでもない。 

天上的現実と地上的現実とが一つになって、透明で明るい。


そして今、私はこう思う ――

  この絵が表現する、一体化した天上的現実と地上的現実、

  これがエル・グレコがその生涯を以って捉えた「聖なる空間」、

  彼の心の裡なる「永遠のトレド」ではないか。

  そしてこれが人間と世界と歴史の根本的現実であり真実ではないか。

  これら天上的現実と地上的現実とは、

  一方で、我々に激しい終末論的嵐となって迫ると共に、

  他方、その終末を超えた新たな創造的嵐ともなって迫るという、

  絶対的逆説性を以って共存するのであろう。

  エル・グレコはその逆説を激しく生きた画家だったのだ。


トレドの街との二度の出会いで、

またコペンハーゲンとの出会いで、

そしてトンブリッジとの出会いに於いても、

私が確信するに至ったのはこの逆説である。





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