コラム

2024.05.13

心に刺さった言葉 (二)-2


 二十代から三十代にかけて出会った、そして心に突き刺さった言葉を、日本と西洋に分け、三回にわたり記している。最後の今回は、我々人間がこの世に生を受けて出会う様々な悲惨と苦しみを前に、「否定」と「肯定」の立場から発せられた言葉二つを挙げたい。これらは共に私の胸に突き刺さったまま、今もこの内で生きて脈打ち続けている。そして私の心は今、前回挙げたゾシマ長老の言葉に大きく傾いている。「肯定的な方向に解決され得ない限り、決して否定的な方向にも解決されません」(『カラマーゾフの兄弟』二5) 。この「肯定」の姿勢こそ、生に対する究極の姿勢と考えるのだ。だがそれでもなお、否、それだからこそ、地上の数多くの不条理と不正と不幸、その痛みと苦しみを前にして、強い否定衝動に足を(すく)われてしまうことがしばしばである。今、「肯定」と「否定」、それぞれの角度から新たに二つの言葉を取り上げるのは、自らの生と思索の原点を改めて確認しようとの思いからに他ならない。

 


[1].

 「ここに眠るは、惨めな魂に去られし惨めな亡骸(なきがら)

   我が名を詮索することなかれ。

   疫病が汝ら、生き残りし浅ましき卑劣漢たちを食い尽く   

   さんことを」

 

   「ここに眠るは我、タイモン。

   この者は、生ありし時、あらゆる生者を心より憎む。

   通り過ぎ、心ゆくまで呪え。

   但し、通り過ぎ、ここに汝の歩みを留めることなかれ」

  

  "Here lies a wretched corse, 

       of wretched soul bereft : 

       Seek not my name. 

       A plague consume you,   

       wicked caitiffs left !

     

     "Here lie I, Timon, who, alive,

       all living men did hate.

       Pass by and curse thy fill, 

       but pass and stay not here

       thy gait.

 

        W.シェイクスピア、『アテネのタイモン』、第五幕第五場、1623

 

  シェイクスピアの『アテネのタイモン』。その最後に読み上げられる亡きタイモンの墓碑銘である。上に挙げたように、ここには二つの墓碑銘が併記されている。前者はシェイクスピアによるタイモンの墓碑銘。後者はシェイクスピアが依拠したプルタークの『対比列伝』(いわゆる『プルターク英雄伝』)中、「アントニウス伝」に記されたタイモンの墓碑銘である。後者で明記されたタイモンの名が、前者では「わが名を詮索することなかれ」とされている。このように内容的に矛盾する別々の墓碑銘を、何故シェイクスピアはテキストに併記したままなのか、研究者たちは様々に推測するが、その決定的な理由は今もなお明確にはされていない。だが私には、これら両者を以ってタイモンの墓碑銘とすることに何ら違和感はない。むしろこれら二つの墓碑銘の並列が、タイモン像をより鮮やかに目の前に浮かび上がらせてくれるように思われる。十字架上でイエスが発したとされる最期の言葉が、四つの福音書では異なるものの(マルコ伝を受けたマタイ伝は、ほぼ同じである)、むしろそれらの差異が、福音書記者たちのイエス像を鮮やかかつ豊かに浮き彫りにするのと同じである。これら二つの墓碑銘こそ、図らずも、この作品の根本テーマを端的に指し示すものとして注目すべきであり、テキスト構成上の整合性を論じることは後回しにすべきだと思われる。その他この作品にはテキスト構成上、様々な問題が存在するとされる。しかし私には、以前も今も、それらの問題を超えて、人間への強烈な憎悪と呪いを墓碑銘に刻んで死んでいった人物、アテネのタイモンその人にこそ、まずは目を向けるべきと思われるのだ。

 

 この戯曲のプロット・筋はそう複雑ではない。

紀元前五世紀末、アテネの富裕な貴族タイモンは、その大らかな気質ゆえに、彼を頼って来る友人・知人たちに援助の手を差し伸べて止まない。だが彼の富も無尽蔵ではなく、当然のこと、いよいよ破産の時がやって来る。タイモンが陥った絶対の窮境を前に、友人や知人たちは掌を返したように見て見ぬふりをし、その頼みを体よく断るのだった。人間愛の人(philanthropist)タイモンは、人間嫌い(misanthropist)に変身し、アテネの街も友人・知人・召使いたちも全て棄て去り、ひとり郊外の森の住人となる。――「そこでは最も冷酷な獣も、人間より心あることが見出されるであろう」(第四幕第一場)。

  森の住人となったタイモンを巡るドラマの詳細は、ここでは省略しよう。やがて運命の歯車は逆転し、人々がタイモンを森から再びアテネに呼び戻そうとする時が来る。しかし時すでに遅く、人々が見出したのは、人間への痛烈な憎悪と呪いを刻んだ彼の墓碑銘でしかなかった。

 

 上記のように、この墓碑銘こそがこの戯曲の根本テーマを端的直截に表わすものであり、正にその主人公であるとさえ言えるであろう。そして我々読者・観客は、この墓碑銘が紀元前五世紀末から、シェイクスピアの生きた十六-七世紀を遠く超えて、二十一世紀、今を生きる我々人間全てに向かって投げつけられた憎悪であり、また呪いであると感じざるを得ない。

 

 このタイモンの墓碑銘が胸に突き刺さった後のことだ。私は或るテレビ番組で、アフリカに蔓延するエイズに関するドキュメンタリーを観た。アフリカ各地を走る幹線道路沿いの町で、若い娼婦たちが長距離輸送トラックの運転手たちから次々とエイズに感染させられ、まともな治療も介護も受けられぬまま死んで行く現実の報告である。一人の女性の亡骸がトウモロコシ畑に埋められる。墓標が建てられることもなく、彼女が眠る畑を熱風が吹き抜けて行くだけであった。

 彼女の苦しみと悲しみは如何にして贖われるのか? この悲劇を受け止める究極の存在は何処に見出されるのか?―― 私はこの光景をタイモンの墓碑銘と重ね、ドストエフスキイ世界に思いを馳せざるを得なかった。『カラマーゾフの兄弟』に於いて「罪なくして涙する幼な子たち」を凝視し、地上世界と歴史に満ちる不幸と不正・不義ゆえに神を弾劾否定し、更には神の愛を証しすべく生きたイエス・キリストをも斥けるに至るイワン。タイモンの墓碑銘も、亡き娼婦の運命も、共に私をこのカラマーゾフ家の次男の許に追いやり、彼が投げつける「否定」に心を寄せざるを得なかったのだ。『カラマーゾフの兄弟』をライフワークに選んだ私の、原点となった体験の一つである。

 

 この「コラム」に何度も記して来たように、また今もアフリカに於けるエイズの悲劇について記したように、二十代から今に至るまで、私が取り組んで来たのは、この世界と歴史の不条理と不正、そこに満ちる過酷で悲惨な現実を、究極、「否定」の方向で見るべきか、或いは「肯定」の方向で見ることが可能なのかという問題であった。これはこの世界に生きる限り、誰もが何時かは抱かざるを得ない疑問であり問いであろう。私の場合、この問題についての考察は、主にドストエフスキイと新約聖書の世界に沿ってなされたのだが、その視界にシェイクスピアの作品世界も入って来たのだ。

 ドストエフスキイはシェイクスピアの影響を強く受けた作家である。例えばマクベスに対してラスコーリニコフ。彼らは共に、血の一線を踏み越えた人間が味わされる懼るべき恐怖と孤独を極限まで表現する人物であり、彼らのドラマは私に、人間が向き合うべき究極の「裁き手」の存在について考えさせることになった。またリア王が陥る絶望と孤独、そしてその末娘コーデリアによってもたらされる救いの光。このドラマは、イワンとスメルジャコフが陥った深い絶望と孤独について、またゾシマ長老とアリョーシャから発せられる光について考えさせざるを得なかった。『マクベス』も『リア王』も、更には『ハムレット』も『オセロ』も、そこに展開するドラマは正にドストエフスキイ世界の原形と思われた。そしてその登場人物たちはドストエフスキイ世界の登場人物たちと重ねられ、この世界と生の現実が、究極、「否定」の方向に結論づけられるのか、「肯定」に結論すべきなのかとの問題を、重く鋭く突き付けて来たのである。タイモンの存在もそのような視野の中に受け止められたのだ。

 

 ここまで記して来た上で、改めてタイモンの世界に戻り、人間愛の人(philanthropist)タイモンの大らかで寛大な性質(bounty, generosity, kindness)について、厳しい指摘をしておかねばならない。先に述べたように、タイモンはその大らかで寛大な性質ゆえに、アテネの多くの人々を感動させる。そしてそれが彼の無上の喜びである。だがその寛大さの実質とは如何なるものか? 実はタイモンの周りに集まって来るのは、彼からの金銭的援助や贈り物を期待する人間たちだけでしかない。しかも哲学者アペマンタスが鋭く指摘するように、タイモンは彼らの本心・本性を疑うことも見抜くこともなく、持ち前の大らかさと寛大さで惜しげもなく自らの富を浪費し続けるだけであり、そこに精神的な奥行きを持った人間的交流が生まれることはまずないのだ。タイモンの破滅と絶望と孤独も、そしてあの痛切な墓碑銘も、彼自らが呼び招いた結末に他ならないと言えるであろう。

 かくしてここに見出されるのは、主人公タイモンの莫大な富と能天気な寛大さを巡って、その友人・知人たちが繰り広げる、昔ながらのありふれた人間的欲望劇と言うべきものであり、我々はこれを「悲劇」と言うよりは、むしろタイモンという名のこの上なく甘い砂糖に群がり、瞬く間に舐め尽くす人間蟻たちが演じる「喜劇」だと呼ぶ方が相応しいのかも知れないのだ。

 

 ところが『アテネのタイモン』に初めて触れた頃の私は、この作品を「喜劇」であるとして済ますことは出来なかった。と言うよりは、そこまで思索を広げる余裕も力もなかったのだ。この作品は人を疑うということを全くしない人物、否、それが天性出来ない人物、そして友人や知人たちにひたすら好意を以って向かう天上的な人物の物語であり、そのタイモンが体現する寛大さ・善良さ・善意が、地上世界で蒙る「悲劇」に他ならないと考えたのである。タイモンのような能天気で底抜けな人間愛の人(philanthropist)こそ、そしてその寛大さと善良さと親切さを善しとする浪漫主義(ロマンチシズム)、或いは理想主義(アイデアリズム)こそ、本来我々が拠って立つべき生の姿勢ではないのか?―― 当時の私はタイモンに劣らぬ能天気な人物、ただ一直線に浪漫主義理想主義(を善しとする若者であり、現実を冷徹なリアリズムを以って分析し、的確に認識するということが十分に出来ない未熟さの内にいたのだと言えよう。

 しかし、だからと言って、今の私は当時の自分の青臭さ・未熟さを、ただ笑い去ろうという気にもなれない。繰り返しとなるが、その頃の私は、飽く迄もアテネのタイモンとは、生来の底抜けの寛大さゆえに俗物たちから破綻に追いやられ、その孤独地獄の底から人間全てへの憎悪と呪いを投げつけて墓に眠るに至った人物、ハムレットやリア王に劣らぬ重い問題を我々に投げかけて来る悲劇的主人公として受け止めたのである。

 殊に私は当時、シェイクスピアが描くタイモンの運命を、ドストエフスキイが『白痴』で描くムイシュキン公爵の運命、「キリスト公爵」とも呼ばれる青年の愛と善意が辿る破滅のドラマと重ねたのだった。つまりドストエフスキイが、ムイシュキンの運命を通して、人間の愛や善意が成立しない闇が我々の内深くに潜むことを示したように、人間の心の表をも裏をも見透し、その悲劇も喜劇も描き尽くすシェイクスピアは、この戯曲に於いて、敢えて単純一直線に能天気この上ない好人物を描き、その心に人間の浅ましさと醜さを映し取らせたら何が浮かび上がって来るのか、一つの実験を試みたと考えたのである。そしてこの劇作家は、思い切り「否定」の方向に筆を走らせ、タイモンの運命を通して、「浅ましき卑劣漢」が人類の大多数を構成することを指し示し、最後にあの恐るべき墓碑銘を置いたと考えたのだ。

 

 この視点は、基本的には今も変わらない。

この世界にはタイモンと同じ墓碑銘を抱き墓に眠るに至った人間が如何に多いことか。だがこのことと共に、否、それ以上に忘れてならないことは、墓の中からタイモンが呪っているのは、忘恩の徒たる人間全てであり、しかも彼が指弾する「浅ましき卑劣漢」とは、遠い昔アテネやロンドンに生きた人物でも、何処かの戯曲や小説の中にいる人物でもなく、正に今を生きる我々自身に他ならないという事実であろう。 

 

 最後にもう一度、彼の墓碑銘に目を向けてみよう。

 

「通り過ぎ、心ゆくまで呪え。

 但し、通り過ぎ、ここに汝の歩みを留めることなかれ」 

 

 「心ゆくまで呪え」 ―― 

タイモンは誰を呪えと言うのか?

馬鹿な私タイモンを笑って呪えと言うのか? 

私を墓の下に追いやった「浅ましき卑劣漢」、全人間をか?

 

 「通り過ぎ、ここに汝の歩みを留めることなかれ」―― 

馬鹿な私を笑って呪い、かつ私を墓の下に追いやった「浅ましき卑劣漢」、全人間を呪った後は、もうこの場に留まってはならぬ。「浅ましき卑劣漢」が満ちる地上で、お前たち「卑劣漢」もまた疫病によって食い尽くされるまで、己の生を歩み続けよと言うのか?

 

いずれにせよ、

この墓碑銘の呪いは底知れず深い。


 

 



 

[5].

 「(われ)(はだか)にて(はは)(たい)(いで)たり。

  又(  また)(はだか)にて彼處(かしこ)(かへ)らん。

   ヱホバ(あた)へ、ヱホバ(とり)たまふなり。

   ヱホバの御名(みな)()むべきかな」

 

  旧約聖書『ヨブ記』第一章21-22

          (「舊新約聖書』、日本聖書協会、1967)

 

 『ヨブ記』とは、義人ヨブを巡る神(ヱホバ)と悪魔との対決の書である。ヨブについて、悪魔は神に言う。たとえヨブが如何に篤く神を敬い、また神から嘉される義人であろうとも、耐え難い苦難が襲い、神から与えられたものを奪われてしまえば、彼はその苦しみの底で必ず神を呪うに至るであろう。―― 神は悪魔の挑戦を受け、命を奪うことだけは除き、悪魔がヨブを如何なる試みに逢わせることも、また彼に与えた如何なる恵みを奪い去ることも許したのだった。

 その後、次々とヨブを襲う苦難について、その具体的な詳細を追うことは止めよう。第2章以降、彼の耐え難い苦しみを知った友人たちが(エリパズ、ゾパル、ビルダデ)次々と彼の許を訪れ、苦難の原因となった隠れた罪の指摘を試み、彼に神への悔い改めを迫る。この友人たちとの長大な対話・対決に続いて、第32章から第37章では、怒れる若者エリフがその独自の神理解を基に、ヨブの不信と高ぶりを激しく衝く。これらの詳細についても、ここでは省略しよう。

 この物語のクライマックスは第38章以下である。うち続く苦難の底で己の義を主張し続けるヨブ、己に不当な苦難を与え続ける神とその義への疑問を投げつけるに至るヨブ―― このヨブに対して、荒れ狂う嵐の中からいよいよ神自らが語りかけるのだ。神の創造の偉大と神秘を目の当たりに示されたヨブは、己の無知と傲慢を涙と共に悔い改める。

 

「われ(なんじ)(こと)(みみ)にて(きき)ゐたりしが、

 今(  いま)()をもて(なんじ)()たてまつる。

 是(  これ)をもて(われ)みづから(うら)み、塵灰(ちりはい)(なか)にて()ゆ」

          ヨブ記第42章5-6

 

神は「塵灰の中にて悔いた」ヨブを嘉し、彼の運命を以前より遥かに幸せなものに回復させ、この物語は終わる。

 

 今も私は、この第42章に心を動かされずにはいない。広く宗教史に於いて、これは稀に見る端的直截で雄大な神顕現の場であり、またそれを前にした人間の痛切な宗教的認識と覚醒の場、神への深い悔い改めと信が表明される場だと言うべきであろう。

 しかし二十代から三十代にかけての私は、この第42章とは別に記されたヨブの言葉の方により強く心を動かされたのだった。冒頭に挙げた第1章の言葉、恐るべき苦難が襲い掛かったことを知らされ、ヨブが咄嗟に上げる叫びである。再度これを挙げておこう。

 

(われ)(はだか)にて(はは)(たい)(いで)たり。

 又(  また)(はだか)にて彼處(かしこ)(かへ)らん。

 ヱホバ(あた)へ、ヱホバ(とり)たまふなり。

 ヱホバの御名(みな)()むべきかな」

 

己の身に降りかかった恐るべき苦難さえ、神への讃美の契機となるという、宗教的逆説の極と言うべき絶対的「信」の表明である。

 

 このヨブの言葉について、私の感動を更に深い理解へと導く助けとなってくれたのはドストエフスキイであった。『カラマーゾフの兄弟』に於いて、8歳のゾシマは母に連れて行かれた教会堂で、たまたまこの物語が朗読されるのを聞き、第1章のヨブの言葉から決定的な「魂の啓示」を与えられたことが記されるのである(※)。

 

「突然、私は初めて何かを悟った。人生で初めて、神の教  

   会で何が読まれているのかを悟ったのだ」

「この本にはどれだけ多くの偉大で、神秘的で、想像し難  

 いものが含まれていることか!」

             『カラマーゾフの兄弟』第六篇二(A)

 

  「偉大で、神秘的で、想像し難いもの」 ―― 幼いゾシマは、ヨブが言語道断の苦しみを与えられたのは、その苦しみの底から、彼がただただ神への絶対の信と讃美を叫ぶためであったことを直観したのだ。つまり神が与え、神が奪うという事実そのものが、神の創造行為に他ならないこと、そして人間の地上の生の一切は、この神の創造を讃美し感謝するためにあるということを、少年は8歳にして悟ったのである。一見すると全くの不合理で理不尽この上ない逆説。―― 「だが」とゾシマは言う。 

 

「ここに謎があることに、即ち地上の移ろいゆく相貌と永遠  

 の真理とがここで共に触れ合うことに、正に偉大なるもの  

 が存在するのだ」

       『カラマーゾフの兄弟』 同上

 

 神の「永遠の真理」がこの地上の人間世界に降り立つ時、それは人間にとっては全くの不可解で不合理な苦しみとしてしか、つまり「謎」としてしか映らないこと。ところがその「謎」でしかない苦しみが、そのまま喜びと讃美の源となるのであること。そして教会とは、この「地上の移ろいゆく相貌」の内にあって、一見不可解で不合理な「謎」そのものとしか思われない「永遠の真理」を受け止めて保ち、人々が共に神への讃美と感謝の祈りを捧げる場としてあること―― 受難週の月曜日、教会の礼拝式で、8歳のゾシマが『ヨブ記』から与えられた「魂の啓示」とは究極の宗教的逆説、「永遠の真理」の洞察であり、『カラマーゾフの兄弟』の冒頭に置かれた「一粒の麦の死」の逆説とそのまま響き合う逆説と言えよう。

 この翌年のことである。9歳になったゾシマは、もう一つの決定的な覚醒体験を与えられる。兄マルケルが奔馬性の結核に罹り、余りにも早い死を迎えるのだが、兄は突如この地上世界が「楽園」、「神の国」であることに目覚め、死の床から神とその創造物を熱烈に讃美し、弟ゾシマの将来も熱く祝福しつつ世を去ったのだ。ヨブの筆舌に尽くし難い苦難と兄マルケルの死 ―― 幼いゾシマはこれらから学んだことを数十年後、自らの死の床で、愛弟子アリョーシャと他の心を赦す数人の僧侶たちに告げてこの世を去る。『カラマーゾフの兄弟』の土台をなし、かつこの物語を縦に貫く核心のエピソードである。

          (※)ここの記述は、河合文化教育研究所HP「ドストエフスキイ

                        研究会便り」(『カラマーゾフの兄弟』の「光」について(そ

        の1)―ゾシマ長老とアリョーシ師弟が表現するもの―)

        の「5」と一部重複する。

 

   私にゾシマが教えてくれた最も大きなことは、自分が生きるこの現実とは「地上の移ろいゆく相貌」と「永遠の真理」とが「共に触れ合う」場に他ならないということであった。

それまでドストエフスキイに触れ、彼が土台とする聖書に触れ、私は自分の生きる世界が、これら二つからなることを漠然と感じてはいたのだが、正にこのことをゾシマは明確に言葉で示してくれたのだ。「地上」と「天上」、そして「人間」と「神」、 これら二つの世界が「内在」と「外在」、共に自分の属する現実であり、時にそれらは受け入れ難く相矛盾し相争いつつも、時に絶妙の調和を示し合い響き合う ―― しかしこれら両世界は、当然のことだが、認識論的にも存在論的にも、そう容易に自分の内で統一されることはなかった。それでもなお二十代から三十代にかけて、幼いゾシマの体験と共に、『ヨブ記』はこの心に強く突き刺さり、人間と世界とその歴史、そして超越世界に関する私の思索を、「肯定」の方向に導く杖の一つとなってくれたのだった。

 以上に記したこと以外にも、先に挙げた義人ヨブを巡る神と悪魔との対決、神の義を巡る三人の友とヨブとの対決、怒れる若者エリフがヨブにぶつける独自の神体験と神理解、またヨブに対する神顕現等々・・・この書物は私に様々な思索の素材を提供してくれ、常に大きな導きの杖となってくれ続けている。

  

  最後に、第1章のヨブの言葉を、先のアテネのタイモンの墓碑銘と突き合わせ、これら二つに沿って「肯定」か「否定」かの問いについて考え、この小論を終えたい。

 己を次々と襲う苦難の底で、ヨブは神への絶対の信と讃美を表明する(第1章と第42章)。これとは対照的に、タイモンがその墓碑銘に刻むのは、人間全てに対する痛切な憎悪と呪いである。「否定」と「肯定」の問題を考える上で、『ヨブ記』と『アテネのタイモン』とは、それぞれが相反する方向に於いて、格好の素材を提供してくれたのである。

  『ヨブ記』の場合、そこに展開するのは飽く迄も神を向こうに置いての思索、ゾシマの言葉を用いれば、神の「永遠の真理」を巡る思索と議論である。つまりここでは人間の義が果たして「永遠の真理」たり得ているか、神とその義の前に正しくあるか否かを巡り、激烈な思索と議論が展開するのだ。そしてそれが最終的に向かうのは、非合理で理不尽とも言うべき、神とその義への「信」の表明であり、絶対的「肯定」の逆説である。

   他方、シェイクスピアに於いては、直接神を向こうに置いて思索が展開することはまずない。タイモンの墓碑銘から明らかなように、ここで問題となるのは飽く迄も地上世界であり、人間間の激しい愛憎のドラマである。ゾシマの言葉で言えば、「地上の移ろいゆく相貌」の内で展開する人間劇と言えよう。そしてシェイクスピアがタイモンに最終的に表明させるのは、この地上世界と人間へのストレートな憎悪と呪い、つまりは絶対的な「否定」に他ならない。

 

   一方で、神の存在とその義を巡る、極めて抽象的で形而上学的・宗教的な思索。他方で、人間が生来内に蔵する資質たる善や美や義を巡る、極めて具体的で地上的な思索。 ―― これら本来異質とも言うべき二つの思索世界は共に、結局、神に対する、また人間に対する、究極の「肯定」に行き着くのか、或いは「否定」に行き着くのかという問題に集約してゆく。しかも両者に於いて、もし「肯定」に行き着くとしたら、そこには「否定」が如何に克服されるのか、逆に「否定」に行き着くとしたら、そこには「肯定」が如何に斥けられるのかという問題を、それぞれ説得力を以って説明することが要求されるのだ。

 『アテネのタイモン』の場合、「否定」を強烈に打ち出すにあたって、タイモンの寛大さと善良さと善意の方が余りにも容易に斥けられてしまい、私には「肯定」が持つ意味の重さに対する評価が十分になされているとは思えなかった。

 『ヨブ記』に於いては、「肯定」を打ち出すにあたって、ヨブの内にそれまで渦巻いていた疑問・「否定」が如何に克服されたのかについて、明確には表現されていないと思われた。つまり恐るべき苦難の只中で、ヨブの内に生まれた神とその義への絶対の信は、飽く迄もヨブの魂の内に生じた逆転であり、他者には容易に立入ることの出来ない「回心」として提示されるのだ。ヨブは神の創造の偉大さに触れたのであり、これで十分ではないかとも言えるだろう。しかし当時の私は、ヨブの内に生じた魂の逆転・「回心」が持つメカニズムとダイナミズムを、どうにかして明確な論理と言葉で掴みたかったのだ。

                                  

 「肯定」と「否定」を巡る思索については、今回はここまでとしたい。以上の問題を抱え、その後四十代から今に至るまで、主として恩師とドストエフスキイとバッハに導かれ、私が専ら向かったのは、前回から挙げているゾシマ長老の言葉と共に、神を愛として捉え、或いは神の愛に捕らえられ、その愛を十字架上の死に至るまで生きて証しをしたイエス・キリストの存在である。これらについては、今までも繰り返し記してきたし、これからも記し続けるであろう。

                  

                         (了)



    ※      ※       ※


追記

 先日4月28日、星野富弘さんが亡くなられた。

 前々回、このコラムの「胸に刺さった言葉」(一)に

 記したように、星野さんは長い間私を教え、慰め、

 励ましてくれる導きの星であった。中村哲さんと

 星野さんの死は、共に痛恨の痛みと言うしかない。

 某野球選手のホームランに大騒ぎをするマスコミの、

 星野さんの死についての余りにも小さな扱いは、

 悲しみと憤りを呼び起こす。

 

 上記のコラムを私の追悼文として、心からの感謝の

 表明とさせて頂き、ご冥福をお祈り致します。

                  芦川 進一


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