コラム
永遠からの呼び声(四) フェルメールの垂直線(1)
[1].直線と曲線の「天上性」・「超越性」
最初にやや乱暴で主観的に過ぎるかも知れないが、直線と曲線、水平線と垂直線が持つ「天上性」・「超越性」について語り、それをこれから三回にわたって記すフェルメールの絵画三点の分析に繋げたい。
果てしなく続く水平線や地平線、聳え立つ巨木や切り立つ断崖絶壁、ハッブル望遠鏡が写し取る超巨大な天体など、自然界の内に日常感覚の閾を遥かに超えた直線や曲線の存在が目の前に現れ出る時、我々はハッとさせられ、それらが宿す「天上性」、つまりは「超越性」を瞬時でも意識せざるを得ない。更に言えば、我々が幾何学で扱う直線や曲線、具体的には三角形や四角形や円などの単純な形態そのものが、地上的存在を超えたリアリティと直結するもの、地上性の内に宿る「天上性」・「超越性」を映し取っていると考えられる。ところが近代の合理的・科学的思考と、それに基づく科学・工業技術の急速な進展が、直線や曲線や三角形や四角形や円などの数学的形態を、生産ライン上の一定の規格内に閉じ込めて商品化し、広く日常生活の内に送り込んだ結果、我々はそれらの形態が宿す非日常性・非地上性を感じ取る力を大きく鈍麻させてしまったのだ。現代世界を広く覆う「世俗化」、人間の均一的「小市民化」現象とは、「合理性」や「有用性」や「実用性」や「利便性」の名の下に、また「モダーン」とか「クール」とか「お洒落」というレッテルを貼り付けて、徒に直線や曲線を前面に押し出し、それらが本来担う始原の「天上性」・「超越性」への感性を人々から奪い取ってしまった結果だと言えるであろう。この危険と悲劇に目覚め、独創的な思索と創作を続ける人々も様々な分野に存在する。しかしそれはごく少数だと言わざるを得ない。
40歳を過ぎたドストエフスキイは、初めて訪れた西欧への旅の印象を、翌年『夏象冬記(冬に記す夏の印象)』という奇妙な題名の(実は大量の毒を含んだ)旅行記として残したのだが(1863)、この旅行記の始め近くで、ペテルスブルクからヨーロッパに向かう蒸気車について、次のように記している。
「ああ、蒸気車の中に何もする事なく座っているのは、何と退屈なことか。
それは我々ロシアの地で、自分のする事もなく生きるのと全く同じ退屈さ
だ。なるほど、身体は運んでくれる。身の世話は焼いてくれる。時には
子守唱も歌ってくれる。そのため、もうこれ以上望むものなどない、とさえ
思われるほどだ。それなのに、それなのに憂愁が襲う。なぜ憂愁かと言う
と、自分で何もすることがないからだ。余りにも身の世話を焼かれ過ぎるか
らだ。 目的地まで運んでくれるまで、ただ座って待つしかないからだ。実
際、時には蒸気車から飛び出して、蒸気機関の傍らを自分の足で走り出した
い気がする時もある。結果はもっと悪くなってしまおうとも、不慣れのため
疲れてしまおうとも、また道に迷おうとも、構うことはない!その代わり、
自分の足で歩くのだ。自分に仕事を見つけ出し、自分でそれをやり遂げるの
だ。そのため、たとえ蒸気車が衝突をし、転覆をするようなことになろうと
も、手を拱いて車内に閉じ込められて、他人の罪を自分が負うなどというこ
とは、しなくてすむだろう」。 『夏象冬記』第2章
ここでドストエフスキイは、鉄道軌跡・レールが持つ直線について直接の言及はしていない。しかし人間から「自分のすること」を奪い、「憂愁」の内に追い込んでしまう蒸気車・鉄道への激しい呪詛を投げつける彼の脳裏にあったものが、今やロシアとヨーロッパを結んで伸びる長大な鉄道の軌道であり、その軌道を構成する平行線、つまりは何処までも・何時までも伸びてゆく二本の直線・レールであることは明かである。2×2=4や対数表、更にはユークリッド幾何学などの数学的定式の囚われ人となること、これを生命と自由に対する根源的な侵害・侮辱と捉えるドストエフスキイにとり、鉄道のレールが構成する無限とも言うべき二本の直線とは、近代社会が作り出した「有用なるもの」・「実用的なるもの」の精華であると同時に、人間から直線が本来持つ天上性・超越性を奪い去り、彼らを測り知れぬ「退屈さ」と「憂愁」の内に追い込む「無用なるもの」の極限としても捉えられたのだ。
ドストエフスキイの『夏象冬記』ばかりでない。19世紀中葉以降、西欧諸国が帝国主義的世界進出を果たすための最先鋭の手段・尖兵として、世界各地に急速に敷設しつつあった鉄道網と呼応して、西洋の文学世界ではトルストイやディケンズ、アンデルセンやマーク・トゥエイン、遅れて日本では夏目漱石や島崎藤村などが、鉄道によって象徴される近代機械文明の怖ろしさと悲劇を次々と描き出してゆく。これらいわゆる「鉄道文学」の根底に存在するのは、上記のように、近代以降の世界を覆う「世俗化」、人間の均一的「小市民化」現象に対する痛切な危機感であり、敢えて言えば、直線や曲線が本来宿す「天上性」・「超越性」への感性の回復と、そこに根差した人間性回復への切実な希求であったと言えるであろう。[この問題については、拙著『隕(お)ちた「苦艾(にがよもぎ)」の星』(河合文化教育研究所、1986)を参照]
前回、我々は徽宗皇帝の「鶉水仙図」を取り上げ、鶉の後方に描かれた水仙の葉の円やかで伸びやかな曲線が呼び起こす「永遠感」について検討をした。その前に問題としたのは顔真卿の書である。そこでは「裵将軍詩」に於ける「破体」の「永遠感」から始めて、更に彼の「楷書」が持つ厳しさを問題としたのだが、例えばそこで示した「而」と「有」という文字、これらに於ける縦と横の直線を思い出してみたい。顔真卿の手になる直線は、直線でもただの直線であることを超えて、縦に書かれると天から地に一気に下る「垂直線」、横に書かれると何処までも伸びる「水平線」と呼ぶしかない永遠感を宿し、見る者の目と心をこの世界の遥か彼方にまで連れ去る力に満ちたものであった。徽宗皇帝にしても、顔真卿にしても、彼らは単純な直線や曲線を、それらが本来宿す「天上性」・「超越性」に於いて捉え、それを見事に表現する芸術的才能を備えた人たちなのだ。
直線と曲線の「天上性」・「超越性」、更にこれを突き詰めれば水平線と垂直線と円弧が与える「永遠感」を、絵画の領域で私に最もストレートに感じさせてくれるのがフェルメールである。今回から三回にわたり、彼が描いた直線、殊に垂直線三本に焦点を絞り、それらが持つ象徴性について考えたい。
[2].フェルメールとの出会い
フェルメールとの出会い。大袈裟なようだが、これは私の人生に於ける最も辛い思い出の一つである。20代、恩師小出次雄先生の許で学んでいた頃のことだ。日本でフェルメールが次第に騒がれ出した頃だったと思う。師が或る時、ファブリ版の『フェルメール画集』(平凡社、1971)の中から「牛乳を注ぐ女」を示して言われた。「君はこれをどう見る?」。この絵を初めて目にした私は、しばらく眺めてから答えた。「女性の衣服や、牛乳の入った壺や、テーブルの上のパンなど、色も肌触りも全てが余りにも生々し過ぎて、僕には何か素直に受け止められません」。すると師は黙って画集を閉じ、二度とフェルメールを話題にされなかった。この日ばかりでない。その後ほぼ10年近くにわたり、師は「ここにはフェルメールを解らない者がいる」として、この画家について私と話すことはされなかったのである。書や絵画や音楽や詩などの芸術作品に対する師の姿勢は、それらの鑑賞にあたっても、自らの創作にあたっても、実に厳しいものであり、その厳しさは弟子たちに対しても一点の妥協もなく貫かれた。例えば或る作品について、「何か素直に受け止められない」とか、「よく解らない」という反応をする若者に対しては、彼らが「素直に受け止められる」まで、「よく解る」まで、そのまま放っておかれるのだ。フェルメールについて、師がようやく私と話をされるようになったのは、ほぼ10年後のこと、ヨーロッパに留学中の弟子を訪ねがてら、各地の美術館のフェルメールを観に出かけて行く時になってからのことである。それまで師がフェルメールと如何に取り組み、如何なるフェルメール論を残されたかについては、今私が他の遺稿と共に整理しつつあり、やがて世に出る日が来るだろう。師が遺された原稿は段ボール箱50近くに上る。ひたすら神の前に最善を尽くすべく生き、中途半端な思索や作品を残すことを善しとされない師は、ましてただ人の目に触れるべく原稿を書かれることなど決してされなかったのだ。私が10年間、この師の沈黙という厳しさの下で、またその後今に至るまで、如何にフェルメールと取り組み、この画家から何を学ぶに至ったかについては、師への報告として、また若い人たちへの参考としても、今回の「コラム」を手始めとして、折に触れ少しずつ書いてゆこうと思っている。
フェルメールの絵画については実に多くのアプローチが可能である。神話や聖書。日常生活の中の女性たち。具体的には、楽器を弾く女性たち、男性と語る女性たち、ワインを飲む女性たち、手紙を読み、書き、託す女性たち、窓際の女性たち、彼女たちの愛、彼女たちの頭巾や衣装や装身具とその仕草と表情・・・。壁に掛けられた絵画や地図。壁に打たれた釘や釘跡。タイル。窓から差し込む朝・昼・夜の光。カーテン。床。天井。テーブル。テーブルクロス。水差しやカップやワイングラス。花瓶や果物。デルフトの街。空と雲等々等々・・・今に残る作品は僅か36ほどでしかない。そしてそこに描かれたほぼ全ては、上に見たように、彼が生きたデルフトの街の日常、しかも殆どが室内の光景でしかない。だがそれらが持つ意味の大きさと深さ、その寓意性・象徴性を我々は汲み尽くし得ないと言ってもよいだろう。恐らくこの画家とその作品が持つ豊かさと奥深さについては、今後なお何世紀にもわたって様々に分析がなされ、様々な研究書や評論や案内書が出され続けるに違いない。
フェルメールとの出会いから、辛い10年間を含み、既に半世紀が過ぎ去った。師が亡くなられてからも四半世紀が経つ。この間、この画家から私が受け取ったもの、それを言い尽くすことは難しいが、敢えて言えば、この「コラム」で記し続けている「永遠感」、別の言葉で言えば、日常性が本来宿す「天上性」であり「超越性」であり「聖性」である。上に列記したように、彼が描く何気ない日常的事物の一つ一つが、実に的確なリアリズムを土台として構成されることで、深い寓話性と象徴性を帯びるに至り、心に沁みて来ないものは無い。私にとって、この画家の絵筆は、存在するもの全てがそのまま「永遠」の内にあること、「永遠」の輝きに満ちていることを確信させる「魔法の絵筆」のように思われる。
[3].フェルメールの垂直線との出会い
(1)「天秤を持つ女」と「静かな戦慄」
フェルメール 「天秤を持つ女」 1662-64
この絵と出会ったのは2000年、大阪天王寺の大阪市立美術館で開かれたフェルメール展に於いてである。師の亡き後、既に10年が経っていた。この展覧会には「聖プラクセディス」(1655)、「リュートを調弦する女」(1664)、「天秤を持つ女」(1662-64)、「青いターバンの少女(真珠の耳飾りの少女)」(1665-66)、「地理学者」(1668-69)の5点が展示されたのだが、この時私が最も心を動かされたのは、会場に行くまでは全く注目することのなかった「天秤を持つ女」であった。
何に心を動かされたのか?―― 修道院のように薄暗く静謐な室内と、修道女のように静粛な表情をした女性。この女性の背後の壁には大きな額縁の絵が掛けられ、手からは天秤の釣紐が吊り下げられている。ここを支配するのは測り知れぬ静けさと緊張感であった。私は薄暗い美術館の中で、人の波を搔き分けながら、長い間その場を離れられなかった。この静けさと緊張感は何なのか? この問いを繰り返し自らに投げかけながら、私の視線は絵の様々な部分をさ迷いつつも、最後には常に絵の中心部となる女性の右手に戻ってゆく。そしていつの間にか、彼女の右手から下がる釣紐が額縁左端の直線と連なり、目に見えぬ一本の垂直線となって、この絵画空間を貫く稲光(いなびかり)のように思われ、私は背骨を刺し貫かれるような戦慄を感じたのだ。だがこの戦慄は決して激しいものではなかった。上に記したように、緊張感が張り詰めてはいるものの、この絵画空間を領する静謐で厳粛な雰囲気と呼応する、飽く迄も静かな戦慄であり、「稲光」と言っても「遠い稲光」と言うべき静かな感覚であり感動であった。
ところが帰宅後に気づいたのだが、額縁の左端から天秤の釣り紐に連なる「一本の垂直線」など存在してはいなかったのである。画面自体の暗さと、展覧会場の極度に落とされた照明とによってであろう。私はそこに「一本の垂直線」が存在すると思い込んでしまい、その果てに背骨を刺し貫かれるような「静かな戦慄」まで与えられてしまったのだ。目の錯覚によって引き起こされた感覚と感動。改めて大判の画集や手に入れた複製画でよく見ると、その釣紐は途中で天秤の竿(腕)によって受け止められ、この水平な竿の両端から二本の釣紐が垂れ、更にそれぞれの釣紐は途中で三本に分かれ、それら三本が最終的に天秤の皿を吊り上げている。女性の右手から下の、天秤が作る小さな鳥籠ほどの空間は意外に複雑な構造になっていて、ここに額縁左端から真直ぐ縦に走る「一本の垂直線」など存在しないのである。私はこの天秤が作る空間の細部を見分けることが出来なかったのだ。何事にも兎角「早とちり」・「早呑み込み」をしてしまう私の笑うべき失敗例が、ここにまた一つ増えたのである。だが不思議なことに、この事実が判明した後も、展覧会場で与えられたあの感覚、背骨を刺し貫かれるような「静かな戦慄」が消えることはなかった。この感覚・戦慄と共に、何か割り切れぬ思いを抱えたまま、私は「天秤を持つ女」と向き合い続けたのだった。
間もなくこの絵に関して、私は重大なことを一つ見落としていたことに気づいた。改めて手元にある画集や研究書に目をやると、どれも例外なくまず最初に「天秤を持つ女」のテーマとして、神とキリストによる「裁き」があるとされているのだ。「天秤を持つ女」の背後の壁に掛けられた絵画、あれは正に『最後の審判』に他ならない! 当然のことだが、これらのことは会場で購入した「カタログ」にもハッキリと記されている。このような重大なテーマを隅に置いて、私は展覧会場の薄暗がりの中で専ら「一本の垂直線」に目を向け、感動に浸っていたのだ。
「なるほど!」と思った。会場で私が与えられた感覚、殊にあの絵画空間を支配していると思われた緊張感は、「最後の審判」が持つ厳粛感・緊張感と大きな係わりがあるのだろう。あの時与えられた背骨を刺し貫かれるような「静かな戦慄」とは、自分がこの絵から来る「裁き」のリアリティを、無意識の裡にも受け止めていたからなのだろう。展覧会場を埋めた多数の人々、極度に落とされた照明、これらも壁に掛けられた『最後の審判』の絵の暗さと共に、自分の心に何らかの影響を及ぼしたに違いない・・・私は自分が与えられた感覚・感動を、改めて「最後の審判」と結びつけて、自らを納得させようと努めたのだった。しかしこれは飽く迄も後から得た「知識による納得」でしかなかった。否、むしろ自分の「早とちり」の正当化の試みに過ぎなかったと言うべきだろう。
ところで「裁き」、更には「最後の審判」というテーマが新たに意識に上った一方で、私の内にはこれとは全く別に、「目の錯覚」からにせよ、「早とちり」からにせよ、展覧会場で「一本の垂直線」から与えられた絵画的感動が依然と生々しく息づいていた。私はこの時、現場での感覚・感動と後で得た知識との間に、越え難い「裂け目」が存在することを自覚せざるを得なかったのである。そして思った。「最後の審判」という言葉・概念によって、自分はこの背骨を今も貫く「静かな戦慄」に蓋をしてしまうことになるのではないか?「知識による理解」と言いながら、そもそも自分は聖書とドストエフスキイ世界に展開する「裁き」のリアリティをどこまで理解していると言うのか? 殊に「最後の審判」に至っては、未だ殆ど理解していないではないか!・・・
「芸術的感動」と「知的理解」、そして「宗教的洞察」。これら三者の間にある「裂け目」を曖昧なままに誤魔化し、偽りの野合を計ること ―― これは師から常に厳しく戒められていたことであり、自らも最大限に注意していることであった。「天秤を持つ女」の「一本の垂直線」と「最後の審判」とは、自分の内で果たして一つになり得るのか? 或いは逆に、これら両者は互いに全く無関係なものでしかないのか? ―― 改めて私はこの課題と取り組むことになったのだった。
何処から手を付けてよいのか? 長い間迷った末に私が最初に向かったのが、「最後の審判」を含めて、西欧社会に於ける「裁き」の歴史であった。そしてまず私の脳裏に浮かんだのが、高校の世界史で学んだ古代エジプトの『死者の書』と裁きの図である。ジャッカルの頭を持つ神が、死者の心臓を天秤で量る懼るべき光景 ―― 「嘘をついたら舌を抜かれる」という「閻魔様の裁き」よりも、この光景の方が私の心には強く焼き付いていたのだ。
[3].「芸術的感動」と「知的認識」と「宗教的洞察」の間で
古代エジプト 「死者の書」
冥界の王オシリス神の下、アビヌス神による天秤の裁き
『死者の書』によれば、既に古代エジプトに於いては、冥界の王であるオシリス神の下、死者に対して厳しい裁きが行われると信じられていた。上図の如く、ジャッカルの頭を持つ神アヌビスが、裁きの天秤を用意する。そして天秤の片方の皿の上には「死者の心臓」が置かれ、もう一方の皿の上には「真実を司る女神マアトの羽」が置かれる。両方の皿が釣り合えば、その死者は生前に嘘をつかぬ正(義)しい人であったと判断され、楽園に於ける永遠の生命が保証されるのだ。死を境として行われる、オシリス神の下での、アビヌス神による天秤の裁き――この図は我々人間の生が究極の裁きの前にあることを伝える、分かり易く懼ろしいリアリティを以って改めて私の心を捕らえたのだった。
この古代エジプトのアヌビス神の延長線上に、古代ギリシャのテミス女神やローマのユースティティア女神もあると言えるだろう。事実、現代に至るまで、人間の生とその真実に対して厳しい裁きを行う女神として、日本を含めた世界中の裁判所や法律関係の場で、「裁きの天秤」を持つテミス像(或いはユースティティア像)が広く用いられている(下図を参照)。近世以降の社会のほぼ全領域で、人間中心の「非聖化」現象が急速に進み、それと呼応して、イスラム世界を除いては、「人間理性による法治・裁判」という概念・制度が前面に押し出され、「神による裁き」という面はほぼ全面的に後退したのだ。このテミス像が、左手にはなお古来の「裁きの天秤」を持ちつつ、右手には法の現実的施行を意味する「剣」を持ち、更に一切の偏見を排すべき「目隠し」をしているのは、古来の「神の裁き」に代わり、「人間理性による法治・裁判」という概念が強く前面に押し出されて来た社会を象徴的に表わすものと言えるであろう。
正義の女神 弁護士バッジ
天秤と剣と目隠し 天秤
古代エジプトやギリシャ・ローマ世界に対して、ユダヤ教とキリスト教に於ける「裁き」はどうか。これらの大宗教を土台に置く西欧社会とは、「ローマ法」やユダヤ教以来の「律法」を土台として、上に記したような近代的法治・裁判の概念と制度を前面に押し出してきた社会であり、「非聖化」を広く強く進めて来た市民社会に他ならない。だがそこにはなおユダヤ教的、更にはキリスト教的「裁き」の概念が息づき続けていることも否定出来ない。例えばユダヤ教に発する「裁き」、つまりユダヤの神エホバに敵対する異教徒たちに対して過酷な裁きと報復がなされることは言うまでもなく、エホバが与えた「律法」を犯すユダヤ人に対しても容赦のない裁きがなされるのだ。つまり外に対しても内に対しても、「聖絶」(神による裁きと絶滅)という懼るべき概念が今もなお脈々と生き続けていることは、現代パレスチナに於けるイスラエルの現実から明かであろう。そしてユダヤ教から発したキリスト教に於ける「裁き」の概念。これもまた基本的には西欧の市民社会を支配するに至った「人間理性による法治・裁判」という流れの一方で、今も神とキリストによる「最後の審判」として強く生き続けていることは、原水爆を用いた世界戦争や地球温暖化による人類消滅への危機感など、様々な形で現れる「終末観」の中に見て取れるであろう。
ピョートル大帝以来、西欧的近代化を推し進めたロシアに於いても、ドストエフスキイの作品と取り組んで驚かされるのは、この作家が「罪」と「罰」のテーマを繰り返し扱うという事実である。我々はこの作家が、具体的な個々の「犯罪」と「裁判」のドラマを通して、その底に存在する「人間の罪」と「神の裁き」を描き出そうとしていることを知るのだ。彼が生涯をかけて取り組んだのは、非聖化と小市民化を急速に進展させる世界に於いて、我々が如何に「神の裁き」への敏感な感受性を取り戻すか、人間の生が本来土台を置く「天上性」・「超越性」・「聖性」を如何に回復するか 、この課題だったと言えるであろう。
以上、極めて簡単かつ主観的だが、古代エジプトからドストエフスキイまで、私が辿った「裁き」の歴史について概観を試みた。死を境として超越者により量られる人間の生とその真実 ―― これが古来「裁き」の歴史に通底する根本テーマであることが浮かび上がったように思う。フェルメールの「天秤を持つ女」も、近代化しつつある社会の日常生活を舞台としつつも、大きくは以上のような「裁き」の歴史の内に位置づけられるであろう。
「4」.「天秤を持つ女」に至る「最後の審判」の系譜
フェルメールの「天秤を持つ女」に戻る前に、西洋絵画に於ける「最後の審判」のテーマを確認しておきたい。古代エジプト以来の「裁き」の歴史を辿った後では、代表的な絵画二点を確認すれば十分であろう。
ロヒール・ファン・デル・ウェイデン 最後の審判 1445-50
(左右が反転している)
「最後の審判」に関する絵画は数多い。上はその代表的な一つ、ロヒール・ファン・デル・ウェイデンの「最後の審判」(1445-50)である。
再臨のキリストの下、大天使ミカエルの「天秤による裁き」が描かれ、その左右には天国に迎え入れられる死者たちと、地獄に追いやられる死者たちとが描かれる。古代エジプトのオシリス神の下、アビヌス神の「天秤による裁き」が、キリスト教的に表現されたものだと言えよう。ここで比較宗教史的・図像学的な詳細の検討をする余裕はないが、二つの「天秤による裁き」を較べて明らかとなるのは、何千年という時間を隔てながらも、人間が死を境に自らの生とその真実に対して、神の厳しい裁きを受けるとの畏れを抱き続けたことであろう。
ミケランジェロ 最後の審判 1536-41
ミケランジェロがシスティン礼拝堂の天井に描いた「最後の審判」。この礼拝堂を訪れる人間の誰もが、「最後の審判」の壮大さと壮麗さに息を呑まずにはいられないだろう。右手を高く上げて裁きを司る再臨のキリストの筋肉は盛り上がり、見事な肉体美である。再臨のキリストの下方、大天使ミカエルの選別が描かれるべきところには、これもまた筋骨隆々たる裸体の男性が、これも天使と目される裸体の男たちの中央上部で、長大なラッパを吹き鳴らす光景が描かれている。これがミケランジェロにとっての大天使ミカエルなのだろう。人間中心を謳うルネッサンス精神の若々しく荒々しい息吹を観る者に叩きつける、いかにもミケランジェロらしい「最後の審判」である。しかしこの絵画もロヒール・ファン・デル・アイデンによる「最後の審判」と同じく、古代エジプトの死者に対する裁き、オシリス神の下での、アビヌス神による「天秤の裁き」の延長線上にあるものと言ってよいだろう。死を境に裁かれる生の真実 ――人間の宗教的感性の時間と空間を超えた普遍性を思わずにいられない。
以上のことから私が強く印象づけられたのは、既に繰り返し記してきたことだが、「裁き」が「死」と強く結びついているという事実である。
そもそも私がものを考えるようになった直接の契機は、小学校6年生の時に体験した祖父の死であった。ここから吹き寄せて来る恐怖に、或る「裁き」の感覚が含まれていることを漠然と感じはしたものの、当然のことながら、当時の私にその明瞭な意識化など出来はしなかったのだ。その後師の導きにより、私は自分の課題が死を超えた「永遠の生命」を求めることだと自覚し、ドストエフスキイ世界と聖書世界と取り組むことになり、やがて神とキリストによる「裁き」、更には「最後の審判」という概念も次第しだいに意識されるようになったのだった。だがそれは飽く迄も「知的理解」の範囲内でしかなく、「裁き」のリアリティが真に内面化するまでには至り得なかったのである。そして恩師の死から11年。フェルメールの「天秤を持つ女」との出会いを機に、古代エジプト以来の「裁き」の歴史を辿り、そこに「死」が決定的な役割を持つことを確認したことで、人間の生と死に関して、改めて私は様々な思索を迫られることになったのだ。
私は思った。 ―― 人間はその生を終えるにあたり、自らの生の一切を白日の下に曝され、その真実を一片の誤魔化しも許されずに量られるのだ。つまり我々は死にあたり、自分の生が実は自分のものではなかったこと、我々を世に送り出した存在の力の下にあったこと、つまり「神の裁き」の下あったことに気づかされるのだ。(「あなたたちの髪の毛までも、全て数えられている」マタイ十31)。この懼るべき事実を、人間は古来広く「天秤による裁き」という表象を以って表現し続けて来たのだ・・・
更にこうも思った。 ―― この考えを突き詰めれば、「裁き」というものは我々の生の終りに初めて問題となるべきものではない。そもそも生の一瞬一刻が死と裏腹にあり、その生は我々が生きる一瞬一刻毎に、我々の生と死を司る存在の前に引き出され、その真実を問題とされているのだ。このことを鋭敏に感じ取り明確に認識した人間が、「神の裁き」という概念を先鋭化させ、宗教と芸術の不可欠の要素として位置づけ、それに独自の表現を与えて来たのだ。「最後の審判」ということも、決して何処か遠い未来の誰か他人に起こる出来事ではない。正に我々自身の日常に於ける「今、ここ、この」現実と考えるべきなのだ。「天秤を持つ女」に於いて、フェルメールが「最後の審判」を壁に掛かる伝統的な絵画の内に閉じ込めず、市井の一女性に於ける日常生活の一齣として描いたこと。これは宗教・芸術両面に於ける彼の感性・知性・洞察力の卓越を表わすものであり、彼の眼には人間の日常生活そのものが正に「神の裁き」の場であり、「最後の審判」の舞台だったのだ。ドストエフスキイが描いたことも、師がその生と死とを以って表現されたことも、そして祖父がその死で表現したことも、正にこのことだったのだ・・・
生と死に関して、ようやく私は一つの認識に辿り着いたように思われた。だがこれも束の間のことでしかなかった。日々の生の只中にある「神の裁き」、市井の一女性の日常生活に於ける「最後の審判」と言っても、果たしてこの「天秤を持つ女」の何処に、また如何に「裁き」は描かれているのか? 自分はまだ「知的理解」の内に留まっているに過ぎないのではないか?・・・
そして立ち帰ったのが極めて単純な、しかし重大な一つの事実だった。―― 自分は展覧会で与えられた「芸術的感動」を一時措き、まずは「天秤を持つ女」に関する宗教史的・図像学的な位置づけ、その寓意性について理解することを優先させていたのだ。それはそれで私に様々な思索を可能にし、有益な認識を与えてくれたことも否定出来ない。しかし会場で与えられたあの「静かな戦慄」は、そのまま放って置いたのだ。「芸術的感動」と「知的理解」、そして「宗教的洞察」―― 師があれほど注意を促されていた三つの課題間の区別を、自分は忘れかかっていたのだ。目の錯覚が生んだ「一本の垂直線」。 改めてここに戻らねばならない!
[5].「一本の垂直線」との新たな取り組み
―「裁きの天秤」に於ける「空の皿」―
展覧会場で与えられた感動、つまり背骨を刺し貫かれるような「静かな戦慄」の原点にあったのは「一本の垂直線」であった。 先に述べたように、この「一本の垂直線」とは、まず「最後の審判」の額縁左端が画面を縦に割る垂直線であり、続いて女性の右手から下がる天秤の釣り紐である。私にはこれら二つが一本に連なった垂直線に見えたのだ。しかし実を言うと、この釣り紐が天秤全体の中でどのような位置にあるのか、その詳細を正確に把握してはいなかったのである。実際は、先述のように、この釣り紐は下に伸びるや、すぐに天秤の竿(腕)によって受け止められ、この水平な竿の両端から二本の釣り紐が下に垂れ、更にそれぞれの釣紐は途中で三本に分かれ、それらが天秤の皿を吊り上げているのだ。展覧会の薄暗がりの中ではこのような釣り紐の詳細、つまりは天秤が作る小さな鳥籠ほどの空間の仕組みが良く見えず(私が持つどの画集も、この構造を明快に映し取っていない)、また大変な人混みに押されて、私は額縁左端から天秤の釣り紐にかけて、縦に真直ぐ「一本の垂直線」が走っているものと思い込んでしまったのだ。そしてこの目の錯覚が作り出した「一本の垂直線」によって、繰り返し大袈裟な表現を用いるが、背骨を刺し貫かれるような「静かな戦慄」を与えられたのである。
更によく見ると、この絵は左上方の窓から射し込む光が、天秤の釣り紐を持つ女性の右手と鋭角的に交わる辺りに、観る者の視線が自然と行くようになっている。女性の右手と呼応して、左手もテーブルにしっかりと置かれ、両手が確固たるバランスを保って天秤を支えている。両手の小指も見事に呼応し合い、テーブルと共にこの画面の水平線を構成している。右手と左手ばかりでない。彼女の表情に加えて、身体全てが天秤のバランスをとるべく緊張し、更に言えば、薄暗い室内の全てが沈黙の内に緊張し、天秤のバランスをとっているかのようで、観る者を息の詰まるような緊張の下に追い込むように思われる。
要するに、女性の右手から下がった天秤が作る空間、鳥篭一つほどの小さな空間がこの絵の焦点たる中核部であり、この空間の真ん中を、額縁左端から続く「一本の垂直線」が、実はそんなものは存在しないのだが、真直ぐ縦に走っているかのような錯覚を与え、私は「静かな戦慄」を覚えたのである。
天秤が作り出す鳥籠一つほどの空間。改めてこの空間と向き合う内に、気づかされ驚かされたのは、どうも天秤の皿二つの上には、測定の基準となるべき錘も量られるべき物も、金貨であれ真珠であれ、何も載せられていないように思われることであった。これは私の目が再び錯覚に捉われたわけでもなく、また単なる主観的感想でもなかった。と言うのも、この絵が描かれてから暫くは、テーブルの上に金貨や真珠が描かれていることから、「金貨を秤る若い女性」とか「真珠を秤る女」などと呼ばれていたのだが、20世紀後半、専門家の厳密な分析によって、天秤の皿二つの上には何も描かれていないことが明らかになったのである(『フェルメール論』、小林頼子、八坂書房、1998)。つまり「裁きの天秤」の二つの皿の上には、金貨も真珠も、死者の心臓にあたる物も、真理を司る女神マアトの羽根にあたる物も、何も載せられていないのだ。改めてこの絵を見ると、壁に架けられた『最後の審判』の中心となるべきキリスト像も鮮明でない。むしろ薄暗がりの中に消え入るような存在としてしか描かれていないのだ。ロヒール・ファン・デル・ファイデンやミケランジェロが描いた輝かしいキリスト像と、何と大きな違いであろう。古代エジプト以来、「裁き」に不可欠とされたきた基本的道具立ての全てを、フェルメールは捨て去ってしまったのだ。「裁き」に関して、フェルメールのこの驚くべき芸術的表現の奥には、更に大胆な宗教的解釈が存在すると思われた。
「裁きの天秤」に於ける「空の皿」―― かくして対象に関する「芸術的感動」と「知的理解」から、「宗教的洞察」へ。これら恩師から与えられた三つの課題の内、最初の二つを経て、ようやく三つ目の課題との取り組みが始まったのだ。その報告は次回と次々回も続き、それらに登場するのもまた「一本の垂直線」であり、そこではフェルメールがイエス・キリストを如何に捉え、如何に描いたかについて改めて記すことになるであろう。今回は展覧会で与えられた目の錯覚、「裁き」の空間を縦に貫く「一本の垂直線」に留まり、この空間の中心たる「空の皿」が持つ意味について、禅僧白隠と福音書記者マルコに言及し、本論の終りとしたい。
江戸時代、臨済宗妙心寺派の禅僧白隠は、弟子たちに「隻手(せきしゅ)の声」という公案を突きつけたと言われる。両手を打てば確かに音が鳴る。だが「隻手(片手)」で鳴るのは如何なる音か?―― 両手も片手も超えたところ、「本来無一物」の身に聴こえる妙なる音。仏の世界から送られる「妙音」を、素直な心で受け止めようとせず、両手とか片手とか、人間の無様な手に縛り付けて聴き取ろうとする愚、「知」・「情」・「意」を甲斐無く浪費する愚を、白隠は弟子たちに悟らせようとしたのであろう。
マルコ福音書の終わりは(十六1-8)、十字架上で磔殺されたイエスのその後についての報告である。三日後にイエスの葬られた墓を訪れた三人の女性が見出したのは、既に空となった墓であった。マルコは復活のイエス・キリストの輝かしい顕現の姿ではなく、「空の墓」の報告を以って記述を終えるのだ。だが何もない墓を貫く衝撃は、この福音書で十字架に至るイエスの生を追ってきた読者の心を、何よりも強く撃つ。それは「天秤を持つ女」の「空の皿」が与える衝撃と通じるもの、否、それよりも遥かに強烈な衝撃として読者の心を撃つであろう。
(了)