コラム
永遠からの呼び声(五) フェルメールの垂直線(2)
はじめに
前回は、フェルメールとの苦い出会いについて記した。師の小出次雄先生から「牛乳を注ぐ女」についてどう思うかと問われ、私は答えたのだ。「女性の衣服や、牛乳の入った壺や、テーブルの上のパンなど、色も肌触りも全てが余りにも生々し過ぎて、僕には何か素直に受け止められません」。その後10年ほど、師は私とフェルメールについて話をされなかった。弟子に対する師の姿勢は厳しく、私がこの画家と十二分にぶつかり、その世界を「素直に受け止められる」まで、そして確かな言葉を発することが出来るまで、私を放って置かれたのだ。
自分のすべきことは分かっていた。―― 自分の内から咄嗟に飛び出した「余りにも生々し過ぎ、素直に受け取れません」。この言葉が示す未熟さと鈍さ、これと正面から向き合う以外になかったのである。その後の二十代、私はダ・ヴィンチやレンブラント、グレコやゴッホやセザンヌの作品と共に、「牛乳を注ぐ女」を始めとするフェルメールの作品と向き合い続けたのだった。
やがて取り組む一人一人の画家、一点一点の絵画が持つ独自のリアリティについて、依然未熟さと鈍さに悩まされながらも、ようやく少しずつ自分なりの判断がつくようになって来たように思われた頃である。私は改めてフェルメールの「牛乳を注ぐ女」と向き合った。するとこの絵は、やはり「全てが余りにも生々しい」のだ。思いつくままに記せば、一枚一枚の窓ガラスも、窓ガラスの破れも、窓から差し込む光も、その光を受けた籠と金属製の容器も、牛乳を注ぐ女性の胴着も前掛けもスカートも頭巾も、牛乳の入った壺も、その牛乳を受ける鍋も、その横の水差しも、テーブル・クロスも、テーブルの上の篭もパンたちも、右下の足温器も、壁の下方に貼られたタイルも、そして背後の白く光る壁と、その壁に打たれた釘も、壁に残された釘跡さえも・・・全てが誤魔化しのないリアリズムを土台として見事に描かれており、これらの形態も色彩も「全てが余りにも生々しい」のである。だがこの「生々しさ」とは、以前、私の未熟さと鈍さが受け止めた「生々しさ」とは異質なものであることを、私は心から実感したのだった。―― これがフェルメールの卓越した芸術的感性と技法とが捉え表現した対象のリアリティであり、これこそ正に「生々しく」活きて脈打つ美と真実そのものだ!
このように見事に捉えられた対象のリアリティを、師は日頃「絶対のリアリティ」と呼ばれていた。私はあの時、「絶対のリアリティの生々しさ!」と答えるべきだったのだろう。しかし勿論、私は今更このことを口にはしなかった。私の内に生じた些かの変化を、師は既に承知しておいでだった。その後、前回記したように、師と訪れたヨーロッパ各地のフェルメール鑑賞の旅は楽しく、充実したものであった。
今回は、その後私が「牛乳を注ぐ女」から与えられた感動、新たに私の心に迫って来た具体的な対象を三つ取り上げ、それらの「生々しさ」について考えたことを記したい。
・壁に掛けられた金属製の容器
・テーブルの上のパンたち
・「牛乳を注ぐ女」の佇まい
これらについて考えてゆく過程で福音書世界、殊にそのイエス観と弟子観と人間観について、フェルメールとドストエフスキイの作品と思想が持つ本質的な類似点も浮き彫りにされるであろう。この点については、殊に二番目と三番目の間に一章を設けて考えたい。
[1]. 壁に掛けられた金属製の容器
― ベーメの神秘体験との響き合い ―
「牛乳を注ぐ女」 壁の金属製の容器
この絵を構成する各部分を上に列挙した。それらのどれもが素晴らしく生きて輝く中で、何よりもまず私の目と心に強烈な印象を与えたのは、壁の左端の中ほどに掛けられた金属製容器の輝きであった。真鍮製だろうか。目も心もゾクッとさせる生々しい輝きである。 その表面には部屋の全てが新たな輝きの中に映し出され、新たな小宇宙を作っている。もしこの金属製の容器が、窓近くに掛けられた大きな籠の影になっていなかったならば、窓から差し込む光によって更に如何ばかりか強烈な輝きを発し、そこには如何ばかりか別次元の世界が映し出されることだろう。この輝く容器と向き合う内に、私はドイツのヤコブ・ベーメ(1575-1624)が体験した神秘体験のことに思い至った。
1600年。ベーメが25歳の時である。彼は太陽の光を浴びて輝く錫(すず)の容器を目にし、人間と自然と世界、そして神の秘密の一切を悟ったと言われる。僅か15分間の体験。その後、野原に出たこの靴職人の目と心に飛び込んで来たのは、全く新しい相貌を持って輝く世界であった。だがこの決定的な体験を言葉にし、一冊の書物(『アウローラ(黎明)』1612)として纏め上げるまで、彼には12年という長い年月が必要であった。
私は神秘主義については門外漢であり、これと言って語り得ることはない。しかし神秘主義思想を専門とする岡部雄三君(1952-2009)とは大学院の同学科で学び、二人は共にドストエフスキイと聖書の世界に深い関心を寄せていて、更に互いの住まいも近かったことから、ベーメの神秘体験が持つ意味については、彼からしばしば話を聞かされていたのだった。(彼とその師南原実氏(1930-2013)とが、それぞれベーメに関する見事な著作・論考を遺していることもここに記しておきたい)。
当時、私の第一の課題はドストエフスキイと聖書と取り組むことであり、『アウローラ(黎明)』以外に、岡部君と南原先生の後を追い、ベーメの難解な世界に更に分け入ってゆく余裕はなかった。しかしベーメが体験した輝く錫の容器というイメージは心の奥深くに住み着き、いつしかこのリアリティの一端にでも触れ、ドストエフスキイ世界との響き合いについて考えられればと思うようになったのだった。と言うのも、ドストエフスキイにも同じような激しい体験があったのである。ペトラシェフスキイ事件で逮捕された29歳の彼は、皇帝によって仕組まれた死刑執行劇に於いて、己の生命の最後の瞬間を待つ間、太陽の光を浴びて輝く遠方の寺院の屋根を見詰め、その光と一つになって死んでゆこうと念じていたのだった。この時の痛切な体験と、彼が生涯苦しんだ癲癇の発作時に訪れる絶対の至福体験(アウラ)、これら二つはドストエフスキイ文学に親しむ者にとっては尽きぬ興味の対象であり、かつ思索の課題となっている。このような背景があったからであろう。そして機が熟したということもあるのだろう。私の目と心はフェルメールが描いた金属製の容器に釘付けとなり、その輝きをベーメとドストエフスキイがそれぞれに体験した輝きと重ねざるを得なかったのである。どれもが生命の根源に触れた輝きであり、正に「絶対のリアリティ」と思われたのだ。
しかし「絶対」と思われる感動も長続きはしない。フェルメールから与えられた感動と裏返しに重ね合わせるかのように、私には岡部君が常に語っていることが思い出された。 ―― 彼によれば、15分間の神秘体験がベーメの生と彼が抱える問題を解決してしまったわけではなかった。つまり輝く錫の容器から与えられた絶対の神体験。この「語り得ぬ体験」を如何に言葉で捉え直し、如何に表現して人々に伝えるか、ここに彼の長い苦しみの生が始まったのだ。そもそも彼も人間として、その心の内には神と敵対する悪魔を根深く巣食わせていた。また外の世界には、彼の思想を異端として激しく排斥し続ける牧師たちが存在していた。彼の生涯とは、この内と外なる悪魔を、15分の絶対体験を核として、如何に克服するかという苦闘の連続だったのである。与えられた絶対体験も、その認識も、最期の時に至るまで鍛えられ深められ続けたのだ。「神秘家は、成長する」(『ヤコブ・ベーメと神智学の展開』43ページ、岡部雄三、岩波書店、2010)。
このベーメに関する岡部君の指摘は、そのまま私が取り組んでいるドストエフスキイの問題でもあった。「光と闇」・「神と悪魔」・「肯定と否定」、これら両極に引き裂かれた人間の魂は、究極、如何に「光」と「神」と最終的な「肯定」に至り得るのか? たとえ瞬間、魂が「光」に満たされたとしても、それは果たして永遠の光として輝き続け得るのか? この「コラム」でも既に何度か取り上げたが、 遺作『カラマーゾフの兄弟』でドストエフスキイがゾシマ長老に語らせたのは、次の言葉である 。―― 「肯定的な方向に解決され得ない限り、決して否定的な方向にも解決されません」。 ゾシマはその肯定の道を、イエスに倣い己の十字架を負って生きること、つまり「一本の葱」を与えつつ歩むことの内に見出したのだった。ドストエフスキイもまた生涯、究極の「肯定」を求め、その苦闘の中で鍛えられ成長し続ける人だったのである。
「牛乳を注ぐ女」に於いて、フェルメールが描いた金属製容器の輝き。そこから私が与えられた新たな「生々しい」感動。恐らくはこれが自分の内に真に内在化し、永遠の輝きとして定着することは容易でないだろう。こう感じつつ、またベーメとドストエフスキイの絶対体験も思いつつ、私はなお「牛乳を注ぐ女」と向き合い続けた。それほどこの絵はどの細部も常に私に深い感動を与え、五感を刺激し、思索を迫って来たのである。
[2]. テーブルの上のパンたち
― 聖書世界へ、「生命の糧」としてのパンと十字架 ―
「牛乳を注ぐ女」 テーブルの上のパン
新たに私の目が強く引きつけられたのは、テーブルの上に置かれた様々なパンたちであった。左の籠の中に置かれた大きなパンと、右の小さく千切られて光り輝くパンたち。どれもがザラザラとした「生々しい」感触で迫って来る。これらは既に堅くなりかかっているのだろう。そして恐らく牛乳と共に煮られた上で、食卓に供されるのだろう。そのパンたちがテーブル・クロスの上で宝石のように輝いている。召使と思われる「牛乳を注ぐ女」の佇まい、一心に仕事に打ち込む真剣な表情とその堂々たる姿勢が、何故かこの家の人々の慎ましい日々の生活を映し出しているように思われた。ゴッホにも馬鈴薯を食べる農夫たちの絵があった。貧しき人々が生きる糧としての馬鈴薯であり、パンである・・・。壁に掛けられて輝く金属製の容器に劣らぬ、ここにもまた生命の根源に触れた輝きがあり、「絶対のリアリティ」があると思われた。
貧しき人々の「生きる糧」としてのパン ―― ここから私が向かったのは聖書の世界だった。新約聖書に於いて、パンはぶどう酒と共にイエスの肉と血の、つまりは十字架に追いやられた彼の命の象徴であり、キリスト教信仰の土台となる象徴である。「牛乳を注ぐ女」にもこの寓意性が込められているのではないか? ベーメは15分の絶対体験を確かな言葉とすべく、12年間聖書と取り組み続けたと言われる。ドストエフスキイが常に向かうのも聖書世界である。私も師の指導の下、ある問題について考える際、一度は聖書、殊に福音書世界の磁場に身を置くことを心掛けていた。そしてフェルメールが「牛乳を注ぐ女」に描き込んだパン。これらが私に思い起こさせたのが、まずはマルコ福音書が伝える「五千人の供食」の物語(六32-44)だったのである。(マルコは続いて「四千人の供食」の物語(八1-10)も伝える)
「イエス出でて、大なる群衆を見、その牧ふ者なき羊の如くなるを甚く憐みて、多くの事を教へはじめ給ふ。時すでに晩くなりたれば、弟子たち身許に來りていふ『ここは寂しき處、はや時も晩し、人々を去らしめ、周圍の里また村に往きて、己がために食物を買はせ給へ』答へて言ひ給ふ『なんぢら食物を與へよ』弟子たち言ふ『われら往きて二百デナリのパンを買ひ、これに與へて食はすべきか』イエス言ひ給ふ『パン幾つあるか、往きて見よ』彼ら見ていふ 『五つ、また魚二つあり』イエス凡ての人の組々となりて、青草の上に坐することを命じ給へば、或いは百人、あるひは五十人、畝のごとく列びて坐す。斯てイエス五つのパンと二つの魚とを取り、天を仰ぎて祝しパンをさき、弟子たちに付して人々の前に置かしめ、二つの魚をも人毎に分け給ふ。凡ての人、食ひて飽きたれば、パンの餘、魚の残りを集めしに、十二の籠に満ちたり。バンを食ひたる男は五千人なり」
マルコ福音書六34-44
「大なる群衆を見、その牧ふ者なき羊の如くなるを甚く憐みて、多くの事を教へはじめ給ふ」 ―― イエスにまつわるパンの話は福音書に多い。この「五千人の供食」の物語も生前のイエス、「神の国」の到来を説くイエスと向き合った人々の驚きと感動を基に作られた「奇跡物語」であり、「神話」であり、また「お伽噺」だとも言えよう。その非合理性ゆえに、この物語を切り捨ててしまう人が多い。しかし早計である。この物語を通して浮かび上がるのは「神」に生き、人間の「餓え」を根源的に満たす「憐み」と「愛」の存在としてのイエス像に他ならない。私はパンを介し、このイエスの姿を「牛乳を注ぐ女」の背後に置く時、十七世紀から一世紀へ、オランダのデルフトからユダヤのガリラヤへと、この絵が時空を越えて一気に福音書的磁場の世界へと転じ、テーブル上のパンは「青草」上のパンとして、新たな生命の輝きを帯びるように思われた。そしてフェルメール自身、そのような奥行きの下にこの絵を描いていること、つまりは彼の絵が持つ聖書的寓意性を強く確信するに至ったのだった。
同時に私が注目したのは、この物語に続いてマルコ福音書が次々と伝える負のエピソード、つまりペテロを始めとする弟子たちの無理解・躓きのエピソードであり、またそれに対するイエスの厳しい叱責と、自らを待ち受ける受難の運命に対する決然たる覚悟の表明であった。福音書記者マルコは「五千人の供食」の物語を、ただ単に驚くべきパンの奇跡の喧伝としてではなく、間もなくイエスが追い遣られる悲劇、ゴルゴタ丘の十字架の運命と不可避に繋がる物語としても報告しているのだ。そしてその先に彼が置くのが、イエスの次の言葉である。
「人もし我に従ひ來らんと思はば、己をすて、己が十字架を負ひて我に従へ。己が生命を救はんと思ふ 者は、これを失ひ、我が爲また福音の爲に己が生命をうしなふ者は、これを救はん」
同上八34-35
福音書のほぼ中心部に置かれた、これがマルコの中核メッセージだと言えよう。つまりマルコがイエスによる喜ばしいパンの奇跡と裏腹に伝えるのは、彼の弟子たちの無理解・躓きの事実であり、また「神の国」の到来を告げられて歓喜した民衆の離反であり、遂には十字架に追いやられるイエスの無残な運命である。マルコは我々福音書の読者に、このイエスの生と死を直視せよ、そこに「神の子」を認め、己の十字架を負って彼に従えとの激しく厳しいメッセージをぶつけて来るのだ。
イエスとパンの関係について、マルコ福音書に続き「牛乳を注ぐ女」が私に思い起こさせたのは、ヨハネ福音書の次の一節であった。
「誠に誠に、なんじらに告ぐ、信ずる者は永遠の生命をもつ。我は生命のパンなり。汝らの先祖は荒野にてマナを食ひしが死にたり。天より降るパンは、食ふ者をして死ぬる事なからしむるなり。我は天より降りし活けるパンなり、人このパンを食はば永遠に活くべし。我が與ふるパンは我が肉なり、世の生命のために之を與へん」
ヨハネによる福音書六47-51
「我は生命のパンなり」・「我は天より降りし活けるパンなり、人このパンを食はば永遠に活くべし」―― 福音書記者ヨハネの神観とイエス観と人間観が凝縮された表現だと言えよう。これらに限らず、ヨハネ福音書からは、冒頭の「言讃歌」(「太初に言あり、言は神と偕にあり、言は神なり・・・」)を始めとして、神から遣わされた「栄光のイエス」像を核とし、詩的・瞑想的・霊的イメージが溢れ出て来る。このためもあろう。ヨハネ福音書の統一像を得ることはなかなか容易でない。だが上の「生命のパン 」に関する一連の輝かしい表現からも伺えるように、ヨハネはイエスの生と死の全てが、その十字架と復活の奇蹟によって既に「世に勝ち」、神の「言 」・「栄光」を顕わしたのだという勝利感・聖霊感の下に、その福音書を記していると考えてよいだろう。
だが見落としてならないのは、「我が與ふるパンは我が肉なり、世の生命のために之を與へん」 という表現である。マルコ福音書で見たように、「神の国」の到来を世に伝えようとの使命感と、「牧ふ者なき羊の如くなる」人々への「憐み」と「愛」に衝き動かされ、彼らに「永遠の生命」を得させるべく生きたイエスの生の果ては、正にその「世」によって十字架上に追いやられることであった。神から遣わされた「栄光のイエス」像、世の「闇」に打ち勝ったイエス像を正面から打ち出すヨハネ福音書を貫くのも、マルコ福音書と同じく、まずはイエスの十字架が与える強烈な衝撃と感動であり、その「肉と血」の犠牲の上で得られた勝利・栄光という厳しい認識なのだ。ヨハネにとっても、人間が神から「永遠の生命」という「活けるパン」を与えられ、栄光を付与される絶対必須の条件とは、我々一人一人がイエスに倣い十字架を負うこと、己の「肉と血」を捧げることに他ならない。この基本的認識が原始キリスト教会の成立以降、「パンとぶどう酒」による聖餐として表現されてゆくであろう。
イエスとパンに目を向けることから浮かび上がって来た「栄光のイエス」像と「十字架のイエス」像 ―― 一見すると相容れないこれら二つのイエス像は、福音書に触れる我々がなかなか理解し難いものである。しかしここにはキリスト教成立の根幹に関わる問題が存在するのであり、フェルメールもドストエフスキイも共にこの問題から目を逸らすことなく、その思索と創作の主要課題の一つにしていたと思われる。以下ではこの問題について更に考えたい。
[3].ドストエフスキイとフェルメールが交差するところ
―「天上のパン」と「地上のバン」、そして「自由」―
福音書と向き合う時、今まで見て来たように、我々は「栄光のイエス」像と「十字架のイエス」像という、一見すると相容れない二つのイエス像の間で大きく戸惑わされる。更には、これと同じことが弟子たちについても言えるのだ。イエスの呼びかけに直ちに応え、彼に従ったペテロを始めとする弟子たちは、師の死後、その復活体験を基に原始キリスト教会を起ち上げ、遂には彼ら自身が殉教の死を遂げるまで師の教えを貫いて生きたのであり、ここからは輝かしい「栄光の弟子」像が浮かんで来るだろう。ところが我々が戸惑わされるのは、この弟子たちが師イエスの生前に次々と繰り返す無理解と躓きのドラマである。イエスを十字架に売り渡すユダ。十字架を目前にして苦しみ祈る師を置き、何度も眠りに陥ってしまう弟子たち。そして師を否認して逃げ去るペテロ。ここからは「無理解と躓きの弟子」像が浮かんで来ざるを得ないだろう。これら相反するイエス像とその弟子像は、果たして何処で、また如何に統一されるのか? これら矛盾と混沌そのもののドラマから、如何にしてキリスト教は生まれ、その後二千年もの命脈を保ち続けて来たのか?―― 私自身、二十代から三十代にかけて、長い間この問題に悩まされ続けたのだった。
この問題について、私は今若い人たちと語り合う時、福音書に記された様々な情報を相反する二つの視点、つまり「キリスト論」と「ユダ的人間論」から見てゆくことで、ずっと理解し易くなるだろうとアドバイスをすることにしている。つまり専ら「栄光のイエス」像に光を当てれば、イエスを神から遣わされた「救世主」、復活によって十字架の悲劇も乗り超えさせられた「神の子」として仰ぎ見る「キリスト論」が前面に浮かび上がるだろう。「栄光の弟子」像も、この角度から見ることで納得が出来よう。一方、師イエスを十字架に追いやるまで無理解と躓きを繰り返したペテロやユダたちに焦点を当てれば、文字通り「無理解と躓きの弟子」像が浮かび上がり、その裏返しとして痛ましい「十字架のイエス」像が前面に出て来るだろう。
これら二つの視点は、矛盾的存在としての人間の在り方と不可分に関係するものであり、基本的な人間観ばかりかキリスト教観を得る上でも不可欠な視点だと考えられる。相矛盾して見えるイエス像や弟子像を前にして、徒に「統一」を計ろうと急ぐのではなく、まずはその矛盾・分裂の内に身を置き、人間について、世界について、歴史について、そして聖書世界について思索を続けることが大切なのだ。だが初期キリスト教以来の護教的立場からであろうか、人間の自己中心性が自らの「闇」は見ようとしないためであろうか、或いは単純に我々の能天気な忘れっぽさゆえであろうか、「ユダ的人間論」の方はとかく背後に追いやられてしまう傾向があるように思われる。19世紀後半に至り、ペテロやユダら弟子たちの躓きのドラマに深い測鉛を降ろし、「聖なるもの」を前に人間が演じる「光と闇」・「信と不信」・「肯定と否定」のドラマを誤魔化しなく追い、その破滅と再生のメカニズムを詳らかにしたのがドストエフスキイであることは、改めて言うまでもないだろう ―― 三十代以降、ドストエフスキイと取り組みつつ、私は主にこれら二つの視点から福音書世界の、そして広くは人間と世界と歴史について理解を試みて来たのだが、「キリスト論」と「ユダ的人間論」という二つの概念に認識が煮詰まるまでには、少なからぬ時間と試行(思考)錯誤が必要であった。フェルメールもまた福音書世界について、基本的にはドストエフスキイと同じ理解に立つ思索家であり芸術家だとの理解を持つに至ったのは、直接は「牛乳を注ぐ女」との取り組みを契機としてであるが、今回記すような形にまで認識が整理されて煮詰まるまでには、やはり少なからぬ時間が必要であった。
さて「生命のパン」とイエスの関係、そこにある十字架の問題については、ドストエフスキイが『カラマーゾフの兄弟』の中でこの上なく重大な思索を展開している。これは上に記したように、私がフェルメールとドストエフスキイとが福音書世界、殊に神観とイエス観と人間観の点で、互いに深く通底し合う思想家であり芸術家であることを初めて自覚した問題でもあり、今も心を大きく占めている。やや抽象性が強くなるが、ここでその要点も確認しておきたい。
問題となるのは、いわゆる「荒野の問答」である。洗礼者ヨハネからヨルダン河で洗礼を受けた後、荒野で40日間、イエスは悪魔と三つの問答を繰り広げたとされる。今回は第一の「パン」に関する問答を取り上げよう。ドストエフスキイが用いるテキストはルカ福音書である。
「猶イエス聖靈にて満ち、ヨルダン河より歸り荒野にて、四十日のあひだ御靈に導かれ、悪魔に試みられ給ふ。この間なにをも食はず、日數満ちてのち餓ゑ給ひたれば、悪魔いふ『なんぢ若し神の子ならば此の石に命じてパンと為らしめよ』イエス答へたまふ『「人の生くるはパンのみに由るにあらず」と記されたり』
ルカ福音書四1-4
『カラマーゾフの兄弟』、第五章。次男イワンによれば、悪魔とイエスが荒野で繰り広げた三つの問答こそ、人類の思想史上最大の事件であり奇跡でさえあった。イワンは、悪魔に対するイエスの答えを通して、人間と世界と歴史、更には神について究極の認識が表現されたと考えるのだ。イワンが殊に鋭く見詰めるのは、パンを巡る第一の問答である。
第一の問答に於いて、飢えたイエスに石をパンに変えよと迫る悪魔に対して、イエスは旧約の聖句を以って答える。 「人の生くるはパンのみに由るにあらず」(申命記八3)。イワンにとりイエスとは、人間の生の究極の糧は神から与えられる「天上のパン」だとしたイエスであり、神と人間への絶対の信と愛を十字架上の無残な死に至るまで貫き通したイエスである。ところがイワンによれば、人間は神から「天上のパン」に向かうべき自由を与えられ、イエスからもその方向に強く促されているにも拘わらず、生来の弱さと愚かさゆえにイエスの信と愛を受け入れ切れず、自分たちに与えられた自由を重荷とし、その自由を投げ返し、ただただ「地上のパン」を求め、嬉々として「大審問官」の奴隷となってしまうのだ。彼らはイエスの導きに従って、神と「天上のパン」を目指す意思も力も持ち得ない。ましてや己を十字架につける勇気のかけらさえ無いのだ。「荒野の問答」を巡り、イワンが叙事詩「大審問官」でアリョーシャに語り聞かせる思想は、『カラマーゾフの兄弟』ばかりかドストエフスキイの思想の核心であり頂点の一つだと言えよう(★)。ここにはその名は用いられずとも、「ユダ的人間論」も「キリスト論」も既に十全に織り込まれていることは明かである。
(★)イワンの思想については、以下の考察を参照。
・『「罪と罰」における復活 ―ドストエフスキイと聖書―』第六章 (河合文化教育研究所、2007)
・『カラマーゾフの兄弟論』 ―砕かれし魂の記録― 』第Ⅴ章 (河合文化教育研究所、2016)
「生命のパン」としてのイエスを核に、「天上のパン」と「地上のパン」と「自由」を巡るドストエフスキイの思想 ―― これらの問題に思いを巡らせ、抽象性と具体性との間を行き来する内に、私の思索は改めて具体的な「牛乳を注ぐ女」(1656-60)の絵に戻り、これにフェルメールが描いたもう一つの絵、初期の作品とされる「マルタとマリヤの家のキリスト」(1654-55)が重ねられるのではないかと思い始めたのだった。「牛乳を注ぐ女」に描かれたのは恐らく召使であろうが、この若い女性が一心に牛乳を注ぐ姿が、「マルタとマリヤの家のキリスト」の絵に描かれたマルタを思い起こさせたのだ。―― これら二人の女性を同一人物と見ることは出来ないか? 前者のマルタが、やがて「牛乳を注ぐ女」となるのではないか? これら二つの絵に於いて、フェルメールはイエスを核とした「地上のパン」と「天上のパン」を巡るドラマ、「ユダ的人間論」と「キリスト論」を彼独自に解釈した上で、作品の内に表現したのではないか? フェルメールとドストエフスキイとは、200余年という時を隔てて、同じ問題と向き合っていたのではないか?
[4]. 「牛乳を注ぐ女」の佇まい
―「唯一つ」「無くてはならぬもの」への目覚め ―
「マルタとマリヤの家のキリスト」(1654-55)
「牛乳を注ぐ女」(1658-60)
「牛乳を注ぐ女」と「マルタとマリヤの家のキリスト」。私がこれら二つの絵の関係に思い至った直接の切っ掛けはごく些細なもので、二つの絵で籠に入れられたパンが、その大きさの点で似通っているということでしかなかった。(パンと籠のリアリティということでは、「牛乳を注ぐ女」の絵の方が遥かに生々しい)。しかし、先に記したイエスとパンの問題、「地上のパン」と「天上のパン」と「自由」の問題、更にはイエスを前にした弟子たちや民衆の無理解と躓きの問題・・・これらが頭の中を駆け巡る内に、焦点はいつの間にか福音書の「マルタとマリヤ」のエピソードに絞られて行ったのだ。そしてイエスを前にした姉妹二人のドラマの内に、マルコやヨハネが、そしてドストエフスキイが扱ったのと同じ問題が含まれ、フェルメールもまたこれらの問題を、ドストエフスキイに先立つこと200余年、二つの絵によって思索し表現していたのではないかと思うに至ったのである。
「マルタとマリヤ」のエピソードを、ルカ福音書の中で確認しておこう。
「斯て彼ら進みゆく間に、イエス或村に入り給へば、マルタと名づくる女おのが家に迎へ入る。その姉妹にマリヤといふ者ありて、イエスの足下に坐し、御言を聴きをりしが、マルタは饗應のこと多くして心いりみだれ、身許に進みよりて言ふ『主よ、わが姉妹われを一人のこして働かするを、何とも思ひ給はぬか、彼に命じて我を助けしめ給へ』主、答へて言ひ給ふ『マルタよ、マルタよ、汝さまざまの事により、思ひ煩ひて心勞す。されど無くてならぬものは多からず、唯一つのみ、マリヤは善きかたを選びたり、此は彼より奪ふべからざるものなり』」
ルカ福音書十38-42
ルカ福音書以外に、我々がマルタとマリヤに関する情報を少なからず得られるのはヨハネ福音書からである。ヨハネによれば、マルタとマリヤはエルサレム近郊ベタニヤ村の住人で、イエスが死から復活させたラザロの姉妹だとされる(ヨハネ十一)。三人はイエスたちの宣教活動に直接は加わらなくとも、日頃その教えを進んで聴き、様々な形で協力も惜しまない、いわゆる「シンパ」だったのであろう。「ラザロの復活」物語に於ける姉妹の言動については、この後で取り上げよう。更にこの福音書によれば、過越際の直前、イエス最後のエルサレム行きにあたって、姉妹二人は復活したラザロも加えて、いわば別れの夕食を供し(同上十二1-11)、この場でマリヤはイエスの髪に高価なナルドの香油を塗ったとされる(同上)。イエスへの香油塗油は、ルカ福音書ではマリヤでなく「罪の女」の業として報告されている(ルカ七36-50)。福音書でユニークな位置を占めるこの姉妹については、古来様々に論じられて来たのだが、それらをここで取り上げる余裕はない。
先に記したように、ルカ福音書にせよヨハネ福音書にせよ、福音書が報告する人々とは、弟子たちを始めとして殆どが「神の国」の到来を説くイエスに衝撃を受け、その「憐み」と「愛」に強く心を動かされる。ところが彼らは、ひたすら神に生きるイエスのラディカルな言動を理解し切れず、遂には彼をゴルゴタ丘上の十字架に追いやるまで、「信頼と裏切り」・「追従と逃亡」という両極的な反応を繰り返し続けるのだ。前章で「荒野の問答」を巡ってイワンの卓越したイエス観と人間観、殊に人間の生来の弱さと愚かさに対する厳しい批判について記したが、ここからも明らかなように、ドストエフスキイが凝視し描き続けたのは、イエスを巡り「信と不信」・「神と悪魔」・「肯定と否定」の両極に引き裂かれた人間たちの挫折と再生の物語、先の言葉を用いれば「ユダ的人間論」と「キリスト論」のドラマに他ならない。その人間たちの中にマルタとマリヤ姉妹もいたのだろう。そしてフェルメールが描いたのも、正にこのドラマだったのではないか・・・
さて姉妹の家を訪れたイエスを前に、マルタはまずはその「饗應」に心を砕き、マリヤは「その足下に坐し」、ひたすらイエスが語る言葉に聴き入ったとされる。イエスに魅せられた姉妹の、それぞれが微笑ましく自然な受け止め方だと言えよう。だが間もなくマルタは「饗應のこと多くして心いりみだれ」、イエスに不平を訴え始める。これも非難すべきというよりは、微笑ましく当然と言うべき反応であろう。イエスも、この「思ひ煩ひて心勞す」マルタのことを十二分に理解していたと考えたい。 姉妹が見せるこのような反応とそれへの応対が、最後のエルサレム行きまで、イエスの日々の活動の多くを占めていたと推測しても何らおかしくはないだろう。
だが我々は、福音書に記されたイエスからこのような物分かりの良い人物像のみを描き出そうとすると、大きな誤りを犯す危険がある。そこに現われるのは小市民的イエス像でしかない。そしてこれこそイエスその人と最も遠い姿と言うべきなのだ。どの福音書が伝えるイエスも、神を見据える目はこの上なく厳しい。先に見た荒野での悪魔との問答に於いても、マルタとマリヤの兄弟ラザロの死にあたっても(★)、また最後のエルサレム行きにあたっても、我々がそこに見出すのは、ひたすら神を見据えるイエス、一点の妥協もなく神を生き、一直線に十字架に向かって歩むイエスである。
(★) ヨハネ福音書第十一章「ラザロの復活」は、ドストエフスキイの『罪と罰』の根底を貫くメインテーマである。私は『罪と
罰論』(上記)に於いて、殺人者ラスコーリニコフの復活をもたらすソーニャの「信」のドラマを、マルタとマリヤ姉妹のそれと
重ねて論じた。誰もが認める「信の人」ソーニャも「ユダ的人間論」の枠を出るものではないと考え、イエスを前に、彼女が真
に「信の人」となるまでの苦悩のドラマに目を向けたのだ。マルタとマリヤの場合も、兄弟ラザロの生前、イエスから親しく
教えられていた「永遠の生命」への確信は、いざとなると吹き飛んでしまい、代わって姉妹の心を支配するに至ったのは不安と
悲しみだけであった。「ラザロの復活」の物語とは、死せるラザロ復活の物語であると共に、その姉妹マルタとマリヤが失った
「信」復活の物語でもあるのだ。そしてこの場を貫くのは、ラザロの死と間近に迫った自らの十字架の死を前に、イエスが神
に向かう毅然たる姿である。
「饗應のこと多くして心いりみだれ」、不平を訴えるマルタに対し、イエスは「されど」と厳しく切り返す。「無くてならぬものは多からず、唯一つのみ、マリヤは善きかたを選びたり、此は彼より奪ふべからざるものなり 」 ―― この厳しさこそイエスその人であり、イエスの目と心が常に何処に向けられていたかを示す、福音書記者ルカの最も重要なメッセージの一つだと言えよう。
私が最も関心を持ったのは、このイエスの言葉を受けたマルタのその後である。彼女はマリヤの「肩を持つ」イエスに対して、更に拗ねて見せたのだろうか? 涙さえ流して見せたのだろうか? 怒りに駆られ、或いは悲しみに沈み、その場を去ったのだろうか? 直ちに全てを悟ったのだろうか? 様々な彼女の心と姿とが思い浮んだ。そして間もなく私が思い至ったのは、フェルメールの「牛乳を注ぐ女」であった。―― 一心に牛乳を注ぐこの真摯で堂々たる女性の姿こそ、その後のマルタではないか! 彼女はイエスの言う「唯一つ」「無くてはならぬもの」を理解したのだ。そして「マリヤは善きかたを選びたり、此は彼より奪ふべからざるものなり」というイエスの言葉を正面から受け止め、 マリヤから「奪ふべからざるもの」を奪おうとした自分の愚かさに目覚め、彼女に尽くしてやるべきは正に自分であることを悟ったのだ。「マルタとマリヤの家のキリスト」と「牛乳を注ぐ女」の二つが一つになって、フェルメールの思索と創作が初めて完成する ―― 私にはこう思われたのだった。
ところでマルタの心がイエスの言う「唯一つ」「無くてはならぬもの」に向かって真に開かれるまで、果たしてどれだけの時間を要したのか? 彼女の覚醒は直ちにもたらされたのか? 或いは相当の時間が経ってからのことだったのか? ・・・どれも定かではない。そしてどれもあり得ることに思われた。 フェルメールが二つの絵を描いた間隔は4-5年。私は自分を含めた人間の鈍さと弱さと重ね、やがて大画家の名を欲しいままとする彼の心もまた「唯一つ」「無くてはならぬもの」に向けて熟するまで、この程度の時間は必要だったのではないかと考えた。「聖なるもの」に対して目と心とが真に開かれるまで、人間は如何に多くの試行(思考)錯誤と愚行を繰り返すことか ―― これは誰よりもドストエフスキイがその生涯を懸けて取り組み続けた問題であり、我々が先に福音書世界に於ける「ユダ的人間論」と呼んだところのものも、これに他ならない。我々がこの「ユダ的人間論」の醜行を演じている間に、イエスは十字架上で磔殺されたのであり、この悲劇が我々の生の根底をなす現実なのだ。
おわりに
― 注がれる牛乳、その垂直線が表わすもの ―
「牛乳を注ぐ女」 注がれる牛乳
私の目と心は、改めてフェルメールの二つの絵に共通する「白」に注がれた。
「マルタとマリヤの家のキリスト」。ここでマルタが身に着けるシャツの両腕の白、そしてイエスの言葉に一心に耳を傾けるマリヤをシルエットのように浮かび上がらせるテーブル・クロスの白。これらは共に、イエスの右指が指し示すもの、それに応えてマリヤの目と心が向かうもの、またマルタも頭では理解しているもの ―― つまり人間に「無くてはならぬ」「唯一つ」のものを浮かび上がらせる背景として、この上なく清澄で輝くように美しい。
この絵に於いては、この白が浮かび出る光源は描かれていない。しかし「牛乳を注ぐ女」に於いては、左上方の窓から差し込む日の光が直接の光源となり、女性のシャツの胸や頭巾の白、画面の背景の大部分を占める壁の白、そして彼女が注ぐ牛乳の白を、それぞれのグラデーションを以って鮮やかに浮かび上がらせている。これらの白たちは、イエスの言う「無くてはならぬ」「唯一つ」のものを競って指し示し合うかのように静かに輝いている。この画家に於いて白とは、「無くてはならぬ」「唯一つ」のものを指し示す象徴そのものなのだろう。
これに加えて、この空間全てを緊密にかつ美しく纏め上げているのは、この女性が一心に家事に打ち込その真摯で堂々たる佇まいであり、更には彼女が注ぐ牛乳の白い流れそのものである。この牛乳は僅か数センチほどの流れでしかない。だがそれは神の蒼穹から注がれる無限のマナを思わせる豊かさと静謐さを以って、この空間を永遠に垂直に流れ落ち続けるであろう。そしてこれら全てを捧げ持つのは、今や「無くてはならぬ」「唯一つ」のものに目覚めたマルタである。
我々の内なるマルタとマリヤ。これら両極の往還の内に我々人間の心の現実と真実はあり、ルカ福音書やヨハネ福音書が伝える姉妹のエピソードも、このように取って初めてその本来の意味を明らかにするように思われる。フェルメールもまたこの認識の上に、「マルタとマリヤの家のキリスト」と「牛乳を注ぐ女」の二つの絵に於いて、イエスを前にした人間の挫折と再生のドラマを描いたのではないか。恐らくそれはフェルメール自身と重ねられる挫折と再生のドラマに他ならず、敢えて言えば、彼自身が「無くてはならぬ」「唯一つ」のものに目覚める「成長史」の記録でもあったのだろう。
今回問題になったイエスの十字架について、この画家が如何に捉えたかについては、次回に考えたい。
(了)